かつてはアルディオンの小国に仕えた騎士だった。
辺境の小さな村から国を守るために志願した彼は、
厳しい訓練を誰よりも真面目にこなしメキメキと力をつけていった。
その頃の彼は秩序を重んじ善を愛する好青年だったという。


彼が才覚ある若手として注目されるようになった頃、戦争が起きた。
彼は奮闘した。
国を守るために、否、それもあるがそれ以上に、
故郷を、両親を、残してきた幼馴染を守るために、誰よりも奮闘した。
しかし悲しいかな、彼の愛する小さな国はその国土に応じた小さな戦力しかもたなかった。
一つ、また一つと要所を落とされていく彼らに手段を選ぶほどの余裕はなく、
攻めれば略奪し、守り切れぬと見たら火を放ち毒を撒いて逃げる。
国を守るためと思いながらも彼の善性は摩耗していった。


そうしてなんとか戦線を保っている中、悪い知らせが届いた。
故郷が敵国の手に奪われてしまったのだ。
それは国にとっては些末事ではあったかもしれないが彼にとっては何よりも重い知らせだった。
すぐさま向かいたい、しかし今、前線を離れるわけには...
悩む間も侵攻は続く。
一年、二年と月日が経った頃、またしても最前線に大きな知らせが届く。
それは両国の戦争の終結、和平条約の締結だ。
長きに渡る戦争に両国が疲弊したためか、それとも平和を求める声が大きくなったか。
いいや、そんなことはどうだっていい、喜びに沸く声を尻目に彼は故郷へと向かった。


故郷はどうなっているだろうか、あの懐かしき麦畑は、棒を振り走り回った庭は、生家は。
はやる心を抑えられず馬を急がせ辿り着いた故郷。
ああ、この麦畑、間違いなく記憶の中の光景と一緒だ。
彼は心の底から安堵した。故郷は無事だったのだ。
何も変わっていないじゃないか、ほら、たくさんの村人が元気に働いている。
遠くには賑やかな町並みが見える、どうやら人も増えているようだ、遠目に炊事の煙が立ち上るのが見える。
もうすぐ収穫期だ、これだけ広い畑なら人手も必要だろう、それが終われば祭り...

はたと気づく。
こんなに広かっただろうか。
おかしい、大きな麦畑があったとはいえ、小さな村。
管理できる土地にも限りがあった。
おかしい、おかしい、町並み？端から端まで見渡せるような村で？
混乱しながら足はかつての生家へ向かう。

家は、あった。だがこんなに綺麗だっただろうか。
中から聞こえてくる声は夫婦だろうか、こんなに若々しい男女の声。
決して老いた両親の声ではない。
何が何やら分からず呆然と立ち尽くす彼を呼ぶ声。
幼馴染の声だ、これは間違いない、聞き間違えるはずがない。
ようやく故郷の手がかりを見つけた彼は喜んで彼女の方へ振りかえる。
久しぶり、無事だったんだ、大丈夫だったかい、心配したよ。
お互いの無事を確認する言葉を交わし、それから彼は切り出す。
自分が離れている間に何が起きたのかと。
そうして、彼女は語り、彼は知ってしまう。


事のあらましは故郷が敵国の手に落ちるその日に遡る。
その日の晩、野盗が村を襲ったのだという。
野盗は火をつけて回り、村の物資を略奪していったらしい。
村の騎士たちは遠征しており、誰一人守ってくれる者はいなかった。
もはやおしまいだ、そう思った時、村の外から武装した騎士たちが突入してきた。
最初は騎士が帰って来てくれたのかと思ったが、すぐに違うと分かった。
装備が、鎧の装飾が、掲げている旗が違う。敵軍だ。
呆然としている間に野盗は返り討ちにされ、すぐに撤退していった。

そこからは敵国の支配下となった。
最初はどんなひどい目にあわされるかと怯えていたが、すぐにそれは杞憂だと分かった。
騎士たちが燃えた村や畑を復興するために様々な物資や人手を手配してくれたのだ。
こちらよりも進んだ技術と学問によって復興した村、
ほどなくして騎士たちの家族も移住し、それは更に大きくなった。
そうして和平が結ばれ、今に至る。


長い、長い話だった。
話しながら歩き、まだ日の高い時間に着いたはずの彼女の家。
今はもうすっかり日が沈んでしまっている。
全てを聞き届けた彼は、ただ一言、そうか、と呟き、深く項垂れた。

彼は理解していた。野党に襲われた。火を放たれ、略奪もされた。
あぁ、それは間違いなく、自分の仲間だ。
この村は自国の騎士に襲われ、敵国の騎士に救われたのだ。
何故わかるか？当然だ、なにせ、自分も同じことをしてきたのだから。
敗北し、もはや守り切れぬとしたら足がかりにされぬよう破壊しつくす。
何度もやってきた、心を殺して国のため、故郷を守るためと何度も何度も何度も。
そのツケが、回ってきたのだ。

大きくため息をつき、静かな声で両親の安否を尋ねる。
彼女は小さく言いづらそうに、野盗が襲ってきた日に、とまで言い、口を噤んだ。
それだけで十分だった。
彼は立ち上がり、帰り支度を始める。
話が聞けて良かった、元気そうで安心した、僕は戻らなきゃ。
そんな風に並べて、家を出ようとした時、小さく外套を引かれた。
ねぇ、このまま残ってよ。ここで暮らそうよ、昔みたいに。
後ろから弱々しい声がする。誰よりも守りたいと思った人の声だ。
しかし、でも、だが、彼の目に映るドアノブを握る手。
何よりも汚れているそれで触れていい筈がない。
一言、ごめん、と返した。
こうして彼はどこにも帰ることができなくなった。