"赤の会"に関わる事件を乗り越えるために力を使い果たした代替心臓――『無限螺旋(インフィニット)』の代用品として、自身と吉沢 詩織(よしざわ しおり)のレネゲイドを元に創られたレネゲイドビーイング、レイの力で拒絶反応を抑えた『賢者の石(レネゲイドクリスタル)』を新たな心臓として据えた。
　拒絶反応を抑えた結果『賢者の石(レネゲイドクリスタル)』としての力は限りなく小さくなったため、それを使って戦ったりなどはできない。

　月明かりの降る道を一人、歩いていた。静謐な光を受けた心臓が、ゆっくりと動く音だけが、この旅路の共だった――。

　雨取あいろの代表作。日の光、月の光を受けて動く機械の躰を持つ主人公『ヒトリ』が、終わってしまった世界をその足で歩き、その手で触れ、その目で見る話。引き込まれる雰囲気と、寂しさの中にどこか美しさを感じる文章が魅力。
　主人公の『ヒトリ』の姿は公開されておらず、少年だったり少女だったり機械だったり、読者の数だけ想像されている。

　――UGNは敗北した。
　UGN日本支部長、"リヴァイアサン"霧谷(きりたに) 雄吾(ゆうご)の暗殺が成立してしまったことで、日本支部を取り巻く状況は確実に悪化の一途を辿って行くだろう。未来から来たと口にした星見 六花(ほしみ りっか)――霧谷 六花の見た歴史では、そうなのだと。
　その運命を覆すには、再び時を越えるべきだと彼女は云う。荒唐無稽な話だが、信じるべきかもしれない。任務中に見せた彼女の鋭すぎる直感は、時間跳躍の説得力を増した。つまり、"既に経験してきた"から、簡単に追えたのだと。
　だが、それと優先順位は別の問題である。霧谷 雄吾殺害の主犯、"赤の会"の"女王"を討つ。そうしなければ、奴を体内に潜ませ運んでしまったという罪悪感に吉沢 詩織(よしざわ しおり)は耐えられないかもしれない。また、これは確証のない推論だが、たとえ時間を越えたとしても、この世界はそのままなのではないだろうか。もしも時間軸が唯一であるならば、『クロノスの座』完成後に歴史を修正するため降り立つ人間が、たった一人であるはずがない。また、「霧谷 雄吾が殺されたから」過去に来た霧谷 六花が霧谷 雄吾の死を回避した場合、未来の霧谷 六花は過去へと向かわなくなってしまうだろう。

以下、しばらく時間遡行と多次元世界に関する考察が続く。

　とにかく、時間が許す限り情報収集に努め、下手人を追うことは論理、心情の両面から効率的と評することができる。今すべきことは、足を止めることではない、決して。

　――運命は廻天し、敗北の定めは覆った。
　時間遡行装置"カイロスの虚"により時を越えることで敗北の運命を変えられる。開発者の隼瀬 紅羽(はやせ くれは)は、機械そのものは完璧に仕上げられると口にした。足りないのは――出力。要求される膨大な出力のあてがないから実現しないのだと、そう言った。
　……出力のあては、あった。この躰を動かす機構――『無限螺旋(インフィニット)』が。失敗作とされ、研究所を閉鎖されたこれは、元よりそうであったのか、私と共に生きてきたことで変質したのか、完成の可能性を得ていた。私たちは研究の責任者、神奈木(かんなぎ) 唯(ゆい)を訪ね、その研究の完遂と、それを組み込む先である"カイロスの虚"の完成へ協力するよう要請した。彼女は多少渋るも最終的には協力してくれて、星見 六花(ほしみ りっか)の精神世界から必要な情報を得た私たちは、完成させた"カイロスの虚"を前にもうひとつの問題に直面していた。
　『無限螺旋(インフィニット)』は、並行する数多の世界に存在する同名の機関から出力を得ることで、文字通りに無限のエネルギーを得られる。だが、容れ物はそれに耐えられない。一度解放した機関は崩壊し、以降なんの力も持たない物へと成り下がる。当然、心臓の代替など務まるわけがない。雨取あいろの死。時間遡行に求められる代償の名は、生贄だった。

　正直なところ、私は、私が終わることがそれほど問題だと思ってはいなかった。

　隼瀬 紅羽(はやせ くれは)が、人死にの出る機関の使用を許容しなかったから。
　吉沢 詩織(よしざわ しおり)が、心臓の代替品を用意する手立てがあると云う"プランナー"の話を聞き、その手段を受け入れたから。
　私が今生きて、この手記を書いていられるのは、私を"ヒト"と呼ぶ彼らが、この命を惜しんだからに他ならない。故に、私は私が生きた意味を、私が"ヒト"たる証左を見つけなければならない。それが見つかって初めて、私は自分を、道具ではないと言えるようになる。そんな気がしている。