彼女の名前は楠(くすのき)七海(ななみ)。
"央海大学"の教授、楠(くすのき)健示(けんじ)を父に持つ。
七海は生まれたときから異常とも言えるほどの高度な知能を持っていた。
父の意向により、七海のための知力を計測する研究チームが用意され、彼女は幼少期をそこで過ごすことになる。
大人たちの期待に答えるように、3歳で高等学校相当の数学カリキュラムを終えた。物理学、数学、機械工学...将来どのような道に進んでも、最高の成績を残せるだろうと評された。
だが、彼女の将来はあまりにも突拍子のない事件によって大きく歪む事になる。
七海が5歳の頃、原因不明の災害によって"央海大学"は消滅した。
そこの教授であった父親も同時に失踪し、彼女は一瞬にして全てを失った。
父がいなければ、七海を取り巻く研究チームも機能停止し、同年代の子供の事を見下していたため、話をできる人が誰一人といなくなり、孤独になった。
同時に将来の夢であった、央海大学に入学することも叶わぬことになり、5歳の天才は絶望した。
5歳にして部屋に引きこもりアニメとゲーム漬けの生活を始めた。
小学、中学共に殆ど登校せず、ロクに勉学を行ったりはしなかった。
魔法少女アニメを好み、夢と希望に満ちた世界をモニター越しに眺め、ひたすら現実逃避した。
漠然とした"青春"に憧れ、高校生活に希望を寄せるも、結局周囲に馴染むことはなく、すぐに引きこもり始め、退学になった。
そうして18歳の時、再び悲劇が訪れる。
母親が交通事故で死亡したのだ。
ついに全てを失った彼女は、自殺を試みる。
トラックを見つけ、飛び込もうとする。
ライトノベルのように自分の都合の良い異世界にでも転生できないかと考え、自らを愚かだと思いながら...
しかし、彼女はぎりぎりで踏みとどまった。
けたたましく鳴るクラクションで我に返り、恐怖から死ぬことすら満足にできやしないと気付いた彼女は、その場に座り込み情けなく泣いてしまった。
まるで子供の頃から、なにも成長していないかのように...

帰宅し、ベッドに横たわった七海は自室に飾られた「魔法少女ブロッサム」のフィギュアを眺めながら、ぽつりと独り言を呟く。
「...わたしもあなたのように、魔法を武器に夢と希望を持ってキラキラと生きられたのなら...
どれだけいいことか...」

そうして少女は眠りについた。

七海が目覚めると、そこは大学都市"オーカー"のある研究室にいた。

七海の姿をみるやいなや、見知らぬ白衣を着た男が声をあげる。
「やった...転移成功だ！
　教授！来て下さい！」
白衣の男は"教授"を呼びに、すぐにいなくなってしまった。
パジャマ姿のまま、状況の飲み込めない七海は困惑する。
「え...なにこれどういう状況？もしかして拉致られた？私が...？」
周囲を見渡すと、七海はあることに気付く。
「あれ...ここって...」
内装こそ違うが、七海はこの部屋を知っている。
「央海大学の...お父さんの研究室...
でもなんで...？」

しばらくすると、声が聞こえてくる。
「マツヤマ君、転移に成功したのはいいが、転移者に説明はしたのかね。混乱を招くぞ。」
「あっ...すみません。興奮しちゃってつい。」
「はぁ...まぁいい。私から説明する。」

白衣の男が、誰かを連れて戻ってきた。
「教授、この人です。」
教授と呼ばれた男を見て、七海は唖然とする。その男もまた、七海を見て驚いていた。
「お父...さん？」
「お前...まさか、七海？七海か？」

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「つまり、ここは異世界で、央海大学は14年前のあの日にここに飛ばされて...
お父さん達は地球からこの世界の技術を発展させれる優秀な頭脳を持つ人を故意に転移させるための研究をしていた、と？」
「そういうことだ。流石理解が早いな。」
「いかに私の頭脳が優秀だったとしても、流石に理解を拒みたいけどね...
で、その"優秀な頭脳を持つ人"が私だったと。」
「あぁ。しかし、大きくなったな。
　あれから14年...学校は？母さんはどうしているんだ？」
「...」
「七海...？」
「もう、関係ないよ。お父さんにも...私にもね。
元の世界に戻る技術はないんでしょ？」
「...いや、私たちが必ずできるようにしてみせる！七海！お前の頭脳も借りたい。
お前は天才だった。
エリンディルの魔法技術は、数式で表現することもできる、お前ならばきっと...」
「...また、私が天才だからって、あの研究室に閉じ込めるつもり？」
「なっ...私はそんなつもりでは...」
「...ごめん、今のは嫌な言い方だったね。
　でもごめん、私はお父さんの手伝いはできない。」
「...どういう事だ、七海！」
「その名前で呼ぶのももう辞めて！
橘七海はもう死んだ...お母さんも、昨日事故で死んだんだ。」
「なっ...!?」
「さようなら、楠健示教授。私は馬鹿じゃないから、央海大学...今はオーカーだっけ？ここに入学するよ。
もしかしたら学内でまた合うかもしれないけど、名前はそうだな...女学生(リセエンヌ)から取って、"リセーヌ"って呼んでよ。
後、私は文系だ。
ここが本当に異世界で、魔法があるってのは理解したけど...理屈っぽく数式で表現される魔法なんてナンセンスだね。」
「...ま、待て！七海！」

リセーヌは研究室を後にし、入学手続きをしにオーカーの本館に向かった。
「ここが魔法のあるような、私が望んだ異世界だというのなら...
私の信じる"純粋なる最高の魔法"を形にすることから始めるか...」

橘七海という少女は今日をもって死んだ。
どうしようもない父親とも袂をわかち、新たな人生を始めるのだ。