西暦1905年、明治38年。
『あの世界』で、ニホンオオカミの最後の一頭が死んだ。
絶滅。二度と戻ることのない種族。
その原因は未だ不明とされている。
しかしその一端には──人間の銃の発展があったとされる。

そして、『あの世界』の出来事は、この世界でもリンクすることがある。

オザリア・イェラエ──後のネルフィン・ナカムとなる少女の生まれの町では、30年ほど前から謎の病が流行していた。
なんの前触れもなく、狂ったように人を襲うようになる。治療の方法は不明。罹患したら最後。その者を捕らえ、死ぬまで監禁するしかなかった。

それが被害とともに他の街に噂として、そして事実として広まるのはそう長い時間はかからなかった。
やがてネルフィンの街は迫害され、差別され、町から出ようものなら殺されることも少なくなかった。それほど、他の街の人々はこの町の人々を恐れていた。

迫害はやがて殲滅の道へと向かった。

オザリアが7歳のときだった。
それは一夜にして行われた。
町中の明かりが消えた。
群衆が走ってくる音が聞こえた。
扉が開く音が聞こえた。
銃声が聞こえた。
悲鳴が聞こえた。
叫声が聞こえた。
呻声が聞こえた。
人間たちの、狂った嗤い声が聞こえた。

両親の声が聞こえた。
逃げろ、と。
反射的に外に出た。
火が見えた。
血が見えた。
肉が見えた。
骨が見えた。
銃が見えた。
狂人たちの、この世のものとは思えない眼が見えた。

逃げて、逃げて、逃げて──どれくらい走ったかわからない。思考はひたすら遠くへ、と訴えるだけ。
足が棒のようになっても走った。
蔦に絡まって転んでも走った。
砂に足を囚われても走った。
足が使い物にならなくなったら、腕を、手を、身体すべてを使ってでも藻掻いた。

日は何度もその間に沈み、また上り、何回それがあったのかわからない。
どこかの崖で、彼女は転がり落ちた。
抵抗などできるはずもなく、ただ転がり落ちた。

意識が途切れる直前に、声が聞こえた。
「怪我してる…早くなんとかしないと！」
人間か、そうでないのか。
ぼんやりとした視界の中では判別ができなかった。
(おね…がい……ころさ、ないで………)
声にできないまま、力尽きた。

助けられた馬車の中で、彼女はドワーフの少女・ラズリーと出会った。
聞けば、冒険者の旅に同行している最中だという。
「……わたし、これから、どうする」
「そーだな…しばらく俺についてこねーか？」
彼女に同行しているうちに、人間にも自らを狙わない存在がいることを知った。
同行した冒険者とは新米とはいえ、剣の捌き・魔法の詠唱・仲間同士との連携、そのすべてが備わっていた。
「すげーよな。俺もあいつらみたいに冒険したいんだ」
「…わたし、も…強くなりたい」
「…よし！あいつらに教えてもらおうぜ！」
2人は冒険の心得を学んだ。武器の扱いも、この時初めて身につけた。
「…このちから、あれば…」
「おいおい、それはダメだ。これは、正義のために使うんだ。」
「…せいぎ…」
「そーいうのは、力に溺れるっていうんだ…いつか取り返しのつかないことになる」
彼女の警戒心も、闇に染まっていた彼女の心も、ラズリーとともに旅をする中で薄れていった。

旅が終わり、オザリアはラズリーの村に帰還した。
村の住人は、近隣の集落で起こった出来事に悲嘆した。
オザリアは、ラズリーの希望たって、彼女の家に引き取られることになった。
「俺の村なら普段から人の出入りが少ないんだ。ここにいる間は、お前が襲われることもない」
「…ん、ありがと…」
「はは、まだ固いな～。よし、今日から俺がお前の『おねえちゃん』だ！」
「…おねえちゃん…？」
「血はつながってないけどな。その方が仲良くなれる気がするんだ」
「…よく、わからない」

ラズリーの家で共に過ごすうちに、彼女のことを本当の姉だと思えるようになった。
不思議な感覚だった。
少し前までは、何もかも失ったのに、今は帰る場所がある。
隣にラズリーがいることが、心強かった。
…そのせいで、やや彼女にべったりな性格になってしまったが。

慈愛心と復讐心。
二律背反のようにも聞こえる。
彼女自身この世界をどちらに染めるべきか、決めかねている。
旅をしていく中で、多くの人の中で、その答えを見つけられるかもしれない。
そうして彼女は、冒険者としての門戸を開いた。

──彼女は、幸福になれるのだろうか？