クノー家はヒスドゥール浮遊連峰の繋ぎ止めにも貢献した伝統ある家門であったが、300年前に繋ぎ止めの最後の楔が打ち込まれたのち、元ヒスドゥール大裂穴に移り住んだ。
連峰の野放図な採掘で地盤がゆるくなり、蛮族の地脈剥離兵器の襲撃を招いたという批判の責任をとった形だ。

以来、クノー家は大裂穴の蛮族との戦いと、残った資源の採掘、守りの剣や魔剣の迷宮の発掘に尽力してきた。
ギルドとも協力し人蠍帝国ザッハークとしのぎを削ってきたが、元来非力なレプラカーンの一門が蛮族と戦い抜くことは困難を極めた。
300年の間に一門は少しずつ衰退して成員を減らしていき、単独で蛮族と戦うだけの力は失われた。
ギルドから冒険者が派遣されたときは共闘するが、普段は迷宮への坑道を整備し道案内を行うのが精一杯となる。

ユリークの両親と何人かの親戚はそんな大裂穴での生活に嫌気が差し、40年ほど前にノーザンファング連山のセンタファングトンネル内の坑道に移住した。
そこで探索種レプラカーンとしての本領を発揮し、主に白熊氏族のリカントと協力して廃坑や魔剣の迷宮を踏破してきた。

20年ほど前に魔動機文明時代の廃坑からルーンフォークのジェネレーターも発見され、集落には内から外からルーンフォークも加わることなる。集落の規模と生活ぶりもがぜん向上した。
ユリークが生まれたのもその頃で、物心ついたときには集落内には常にルーンフォークとリカントの冒険者が滞在していた。
ユリークは幼い頃はルーンフォークの義姉によく面倒を見てもらっていた。ただ、12歳になる頃には義姉の幼い面も見えてきて、どちらが姉なのかわからなくなるくらいだった。

センタファングトンネル内の集落周辺では数年に1回は蛮族の激しい襲撃があった。幸い集落が直接危険に晒されることはなかったものの、滞在していたリカントやルーンフォークの冒険者が傷つく姿をユリークは何度も見てきた。
義姉もときどきひどく傷ついて帰ってきて、あるときは言動が曖昧になって……。その理由をユリークは知り、義姉を深く深く想うようになった。守ってくれてありがとう。何か言ってくれてもいいのに。ありがとう。無理しないで。

ユリークが14歳の頃、集落のごく近くの廃坑にある守りの剣の力が失われつつあることが明らかになった。折り悪く崩落事故もあり廃坑が閉ざされ、守りの剣の力を補充することも困難となってしまう。
ユリークが密かに想っていた幼馴染のリカントの少年がこの事態を解決するべく名乗りをあげ、守りの剣のもとへと向かうこととなる。
『図南の鎚』と名付けられたこの少年を中心とした部隊は、蛮族や魔神との激しい戦いの末についに守りの剣まで到達し、その力を蘇らせた。

しかし犠牲は大きかった。
蛮族を打ち倒して”勇者”となったリカントの少年は最後に崩落に飲まれ行方不明になったと聞いている。
部隊に参加していた義姉も再び記憶を失ってしまった。

『図南の鎚』の出立の前日、ユリークはそのリカント少年と初めてキスをした。
ふとしたときにそのことを思い出す。
せめて家出して一緒に行けばよかった。
ねえ、お姉ちゃんは何か知ってる？　……。ごめんね。ううん、なんでもないの。


経歴：(1,1,1)大恋愛したことがある
　　　(5,2,6)歌を褒められたことがない
　　　(2,1,3)子供の頃に家出したことがある
理由：(6,4)失われた家門を取り戻すため

ユリークが生まれる前後に一家の集落経営が安定しだし、生活自体の不自由は少なかった。
レプラカーンの一家のほか、冒険者や山師、魔動技師や鉄道ギルド員などの出入りはひっきりなしで、特にリカントとルーンフォークは長期滞在者も多かった。
しかし集落周辺の坑道での崩落・爆発・毒ガスの事故もまたひっきりなしで、蛮族との争いも半ば日常と化していた。

資源が豊富であるがゆえの紛争地帯で生まれ育ったようなもので、常に危険と隣合わせ。
平和な場所で生まれ育った者よりも硬く乾いた価値観が養われた。

後に義姉となるマルトーと出会う。彼女はルーンフォークの冒険者だ。
冒険者は集落の子供とは距離を置くことが多いが、マルトーは積極的に接してきてよく面倒を見てくれた。
彼女は集落の滞在者となり、坑道調査部隊の護衛の仕事をすすんで引き受け、腕っぷしも強かったことからすぐに集落内での地位を確立する。
ことあるごとにハグしてくるマルトーのおかげで、ユリークも他人に触れることへの抵抗感がなくなった。

あるとき集落の周辺で蛮族が大規模な拠点を築こうとしていることがわかり、冒険者ギルドと協働してこれを強襲する運びとなる。
集落の大人たちは出払い、マルトーもまた強襲部隊に参加した。

戦闘は数日間に及び犠牲も大きかったようだが、留守番をしていたユリークはよく知らない。
ただ大人達が深刻な顔をして何かを話し合っていたこと、集落にギルドから魔術師が派遣されたことは覚えている。

他の大人たちの帰還から少し遅れて帰還したマルトーはひどく傷ついており、ユリークのことも一瞬誰だかわからなかったようだった。

まだ幼いそのときのユリークには何もわからなかった。マルトーが帰ってきて嬉しいというだけだった。
大きくなったら魔動バイクに乗せてくれるという約束も忘れられてしまったのは少しだけ悲しかった。

1週間後。
冒険者の噂話や大人たちから漏れた話からだいたいのことを悟ったユリークは思いついた。

――そっか……、それならいいや。
――ぜんぶ忘れてしまったのなら、今日から「お姉ちゃん」って呼ぼう。

マルトーは姉と呼ばれることを受け入れてくれた。

センタファングトンネル坑道内での日常的な事故の危険、そして定期的に持ち上がる蛮族の集散。訪れては去る冒険者たち。
その繰り返しの日々のなかで、ユリークも坑夫としての技術と護身術を身に着けていく。
ユリークに護身術を叩き込んだのはもっぱらマルトーだった。
マルトーの教え方が良かったのかユリークにもともと素質があったのか、戦鎚の扱いではすぐに頭角を表した。
14歳になる頃には一人前扱いされるほどの腕前となる。

同時に外の世界にも憧れるようになり、集落に訪れた鉄道ギルド員からチケットを融通してもらうなどして定期的にキングスフォールやグランティンへ修学と物資調達の小旅行に出かけた。

都会流の着こなしを身に着けたユリークは集落内でも多少目立つ存在となり、同年代の白熊氏族リカントの少年・ヴィトセルクとの距離が縮まっていく。
この頃成人を迎えたヴィトセルクだが、武勇に優れ集落内でも将来有望な若者と見なされていた。

つづく

ユリークの”姉”となったマルトー。
言動にやや奇矯なところはあるものの、廃坑調査部隊の護衛として彼女は非常に頼れる存在であった。
その戦いぶりは効率的かつ緻密で、単に目の前の障害を排除するだけではない凄みが感じられた。
普段の言動とあいまって、集落の他の冒険者たちはマルトーのことを苦笑半分恐れ半分で扱っていたところがある。

彼女が集落に訪れてから10ヶ月目、蛮族拠点の強襲という件の作戦からその針の平衡は徐々に恐怖へと振れていく。
効率的な作戦遂行のために、マルトーは自身の命すら投げ出したのである。

結果として多くの命を救う行動だったとはいえ、我が身を全く顧みないマルトーに、同伴した一同はまず畏怖を覚えた。
その畏怖はシンプルな恐怖へと変わっていった。
数年の間にマルトーは連続して仲間のために命を落とし、そのたびに蘇った。結果的には”最小の犠牲”だったとはいえ、マルトーが道連れにした命も少なくはなかった。

一度きりの死なら"勇者"だったかもしれない。
だが重なれば狂気だ。

ルーンフォークであるマルトーの記憶が連続してないことは明らかだが、そんな曖昧な状態でも彼女は戦い続けた。
明るく朗らかな戦闘機械と化したマルトーの、使い捨てのこころ。冒険者の何人かは事情を知ると集落を離れていった。

ユリークの両親はマルトーの状態を重々承知でありながら、それでも彼女を重用し続けた。
戦闘能力は随一。この坑道を完全に踏破するためにはマルトーの力がどうしても必要だった。
娘がマルトーを「お姉ちゃん」と呼んで慕うに至っても、好都合だと捉えていたようだ。

クノー本家がどれだけ苦境にあっても大裂穴に囚われていたように、分家の両親もまたセンタファングに囚われていたのだろう。

「狂ってる。敵も味方も」
ユリークの目に映る集落は、両親は、最初から狂っていた。飽きずに襲撃を繰り返す蛮族と同じかそれ以上に。奇矯に恋を求めるマルトーと同じかそれ以上に。

ヴィトセルクと出会ったのはユリークが10歳の頃。
マルトーが集落の危うい用心棒として定着した頃、ヴィトセルクが白熊氏族のリカントの新しい成員として入村してきた。
ユリークより2つ年上の彼は、当初から将来有望な戦士として認められており、危険な調査任務にも護衛として参加して成人前から実績を積んでいく。

歳の近いユリークとヴィトセルクだったが種族の違いもあり当初はお互いをさほど意識していなかった。
距離が縮まったのはやはりユリークが14歳になった頃だろう。
成人して自信をつけたヴィトセルクと、成人が近づいて外の世界を見て魅力を増したユリーク。

彼が行方不明になる前の2ヶ月あまりに急速に距離は縮まり、まさに蜜月となった。
毎晩のように逢瀬を重ねてくだらない話をして……一ヶ月経つころにやっと手をつないだ。

今でもそのときの甘酸っぱさが鮮明に蘇る。

若い二人がお互いを恋人と認め合う直前、集落の守りの剣の問題が持ち上がる。
まだいくらかは余裕があったはずだが崩落事故で”聖堂”が壊れ剣は急速に力を失い、同時にそれを察知した蛮族の動きが活発化した。

守りの剣の結界維持の儀式に白熊氏族とルーンフォーク達が向かうことになる。
ヴィトセルクもマルトーも参加した部隊は”図南の鎚”と名付けられた。名付けたのはユリークの両親。センタファングの坑道から外に出れば、天気の良い日なら南にヒスドゥール浮遊連峰を臨むことができる。図南とは、ノーザンファングを制覇していつかはヒスドゥール大裂穴に帰るという捲土重来の想いも込められていたのかもしれない。鎚をこんなところで折るわけにはいかないと。

"図南の鎚"の出立直前。
守りの剣の危機という一大事だけあっていつもより数段ものものしい雰囲気。蛮族側が何か策を練ったのか、魔神出没の報告まで上がっていた。魔神召喚は人蠍帝国ザッハークの常套手段。因縁の対決か。

ユリークも同行を望んだが成人前ゆえに許されなかった。
気に入らなかった。留守番を言い渡されたことだけではない。何もかも気に入らなかった。この集落の存続のために血眼になっている両親やギルドからの派遣員。ジェネレーターを守ろうとするルーンフォーク達、力を示そうとする白熊氏族。
ヴィトセルクに至っては若き"勇者"として祭り上げられる始末で……。いつものように笑顔で発ったマルトーにも複雑な想いを禁じ得なかった。

一週間後、"図南の鎚"の作戦成功と、部隊の壊滅が同時に伝えられた。蛮族と魔神相手に勇戦奮闘し、守りの剣と崩れ落ちる聖堂と運命を共にした白熊氏族は全員が土塊に呑まれ命を落とした。帰還できたのは何名かのルーンフォークのみ。事切れる直前にルーンフォークが「裏切り者が出た」と口にしていたが、その真偽はわからないままとなった。

そのときの記憶はユリークも曖昧だ。
ただ出立の前日に交わした、初めての恋人との初めてのキスと、お守りにもらったロケットのことだけを覚えている。

またしても"傷ついて帰ってきた"マルトーがすべてを忘れていたことにユリークは最初は憤っていた。だが今では救いになっている。マルトーだけは彼のことを何も知らないから。明るく優しく接してくれるから。

かくして集落は守られた。残された者の採掘は続く。
やはり狂っているのかもしれない。この坑道に囚われた誰しもが。