その正体は、この世界とは別の世界で生まれ育った、ヴェルメリオ・オルテンシアその人である。

この世界では、ヴェルメリオはまだ生まれたての短命種のメリアの少年。
一部の毛髪が真っ赤に染まり、更に両目の色が異なる特異な姿は生まれついてのものである。
現在のこの世界のヴェルメリオは父親こそ不在ながら、家族に深く愛されて、戦いなど知らずに育っている。

その一方で、クラネオは剣士として鍛え続け、成長を遂げた「ヴェルメリオが辿り得る、一つの未来の姿」である。
クラネオが剣士の道を志したのは、義姉のスリジェ・フルールの「破れた夢」について知り、その夢を継ごうと思ったからである。
そうして剣の道を歩み始めた彼は、スリジェの仲間のレア・ローラン・ブリジットに師事し、剣技を学んだ。
……師の俊敏性こそ模倣できなかったが、その分は身体の頑健さで補うことにしたようだ。
そして独学で二刀流を体得し、ファイラステン古流ヴィンド派に入門。全ての秘伝を修めるに至った。
その剣は、家族を理不尽から守り抜くため、立ちはだかる障害を打ち払い、平穏を取り戻すためのものだった。
そう、その筈だったのだ……彼の身に、数多の絶望が襲い掛かる、その時までは。

そんなクラネオの居た世界では、この世界とは異なる事象が幾つか発生している。
そのため、この世界がクラネオの居た世界と同じ結末を辿ると決まったわけではない。
当然、この世界のヴェルメリオが、クラネオのように育つとも限らないのだ。
そうした「並行世界」とでも言うべき世界で、クラネオは生きてきたのである。
……そして、クラネオの世界が辿った未来は、クラネオにとって、かなり絶望的な展開を迎えているようだ。

その拭えぬ憎悪こそが、彼の振るう魔剣「反骨剣デスペランサ」に力を与えているのである。

多くを失い、苦境に立たされたクラネオだが……まだ、彼が守り抜きたいものは残されていた。
それは「家族」だった。生まれる前に父を失い、実姉が蒸発し、義姉や師匠とすら離別することになった彼にも、まだ守るべき母が、コトネ・オルテンシアという拠り所が存在したのだ。
しかし、ある日クラネオは巻き込まれた奈落により、時間軸のズレた並行世界と言える「この世界」へと落とされてしまう。
その奈落は、時間軸の違う二つの世界を結ぶ、特別な「双方向性の奈落」であったのだ。
クラネオは、あくまで「奈落による不慮の事故」でこの世界へと渡ったのであり、自ら望んでこの世界に来たわけではない。
加えて、「二つの世界」が「クラネオの元居た時間軸」と近い時間軸で結ばれる「双方向性の奈落」が、再び己の前に現れる可能性は著しく低いと言うほかないだろう。

……つまり、クラネオは元の世界に帰りたくても、帰る手段が無い。
大切な肉親を守ろうとしても、二つの世界の隔たりに遮られ、その手は絶対に届かない。
そして、守りたい母親がどうなっているのかすら、クラネオには知ることができないのだ。

「世界は残酷だ。愛する家族を守ることすら、許してはくれないのか」

この世界に落とされたクラネオは、守りたいものを守るための行動の一切が不可能となった現実に、何よりも深い絶望を覚えた。
同時に、クラネオの心に微かながらも存在した「神による救済」に縋る気持ちも、完全に砕け散ってしまった。
……その深い絶望を経験したからこそ、クラネオは「神の奇跡による救済」を一切信じない。
そんなものが存在するのであれば、己がこの世界に迷い込むことも無かった筈なのだから……。

……そうして、彼はこの世界で絶望に沈んだまま、今の今まで生き続けて来たのだ。
だが、己の「死んだように生きている」無様な姿を「まるでアンデッドだな」と自嘲し、家族から貰った名を捨て、「髑髏(クラネオ)」という偽名を名乗ってなお、彼は自発的な死を選ぶことはなかった。

「家族から貰った大切な名前を、今の己の醜さで汚したくない」
「もしかしたら、奇跡的に元の世界へと戻れるかもしれない」

そんな小さな抵抗と、一縷の望みだけが、彼を生の世界へと繋ぎ留めていたのだ。

余談ながら、彼はいかなる手段を以てしても、「未来の情報」を伝えることはできない。
発声のみならず、筆記や身振り、その他あらゆる伝達手段であろうとも、一切が何らかの形で阻害されてしまう。
ただし、部分的に話せる情報もあるようであり、その基準は判然としない。

……クラネオは戦場に身を投じ続ける。家族を苦しめる存在を討ち滅ぼして、平穏を取り戻すその日まで。
戦いで敵を討つことしか、大切な家族を守り抜く術を知らないが故に。