山奥の小さく閉鎖的な村の出身で、ナイトメアという特異な生まれから家族以外に迫害されていた幼少時のローザの生活は、両親が事故で儚くなってからさらに悪化する。
兄が唯一の肉親となり、後ろ盾が無くなった兄妹は村を逃げるように飛び出したことでその日暮らしの生活を余儀なくされ、過酷な生活の中その食料の殆どを妹に渡していた兄もやがて息を引き取った。
何度も死にかけ、幽鬼のように森を彷徨っていた彼女は、家主の錬金術師が老死し放棄されたアトリエを見つけ、そこを間借りすることで生活環境を確立した。
それから数年は、そこにあった書物から独学で錬金術と魔法を学び、たまに買取に来る商人に成果物を販売することで数年の間生計を立てており、極力人と関わらない日々を過ごす。
しかし、なじみの商人も怪我で来ることができなくなってしまい、いよいよ金がなくなってしまったため、重い腰を上げ冒険者になることを決めた。

「両親も兄も自分が生まれたから死んでしまった、自分が殺した。」
冒険者として登録する際、兄を殺めた罪を背負うという意味を込めて、出身の村共通の性を捨て兄の名前を性として名乗る。

・経歴表
→罪を犯したことがある。
→臨死体験をしたことがある。
→異性の家族がいない。

「今度の酒はかなりの希少品だ。ホーキンスのじいさんめ、今回はさすがに椅子から転げ落ちるんじゃないか？」
小雨の降りだした昼下がりの山道で、クライスはそうひとりごちた。
商人を営む彼にとって、山奥に住む錬金術師であるベルベット・ホーキンスは、顧客で、仕入先であるが、
それ以上になにより何度も杯を交わした、気の置けない友人の一人であった。
といっても頻繁に会うわけでもない。数週間に一度、ホーキンスが渾身の成果物を土産にクライスの家に来ることもあれば、
「貴重な酒を手に入れた」とクライスが彼のもとに赴くこともある。
決して頻繁ではないが、十数年続いている心地の良い関係である。
直接訊いたわけでもないし、普段の彼は口を開けば悪態ばかりついているが、
きっとホーキンスも同じように思っていてくれることだろう。
さて、今回の行商のメインは、彼に秘蔵の酒を馳走すること。
世辞など絶対に言わない彼が蓄えた髭の中でひっそりと口角を上げ、静かに喜色を浮かべる様子を肴に酒を飲むのがクライスは大好きであったので、
足取りも自然と軽くなり、濡れて少々歩きづらくなった道も、浮足立ったクライスの歩みを阻むことはできなかった。

歩きなれた道を進むこと数時間、やがてホーキンスの住まうアトリエが見えてくる。
森の中に建てられた大きめのコテージといった風体で、森の中にあればそれなりに目を引く。
夕の暮れはじめ……いつもであれば、家の窓から光が漏れているため、もう少し早く気付くことができるはずだが。
「明かりがついていないな、留守か？」
近づくにつれ、普段なら点いている灯がついていないことに気づく。
違和感はあるものの、今まで不在であったことは少ないとはいえ初めてでは当然ない。
出不精の彼も、素材の採集や仕入れ、自分以外の商人との交流など外ですることはあるだろうし、そういうときは決まってしばらく寛がせてもらっていたので、
今回もそうしようと、悠然と構えていた。
だが、ドアに手を当てたとき、違和感に気づく。
「何かいる。」
商人である以前に冒険者としてそれなりの経験があるクライスは、
中にいる何者かの気配を感じ取ることが出来た。
ホーキンスではない。昼寝だとしても、いつも明かりはつけっぱなしであるはずだし、
寝相が悪い彼のことだ。いびきの一つくらい聞こえてこないほうがおかしい。
ペットや同居人の類もいないことは知っているし、他に来客があったとしても、
やっぱり明かりは灯すだろう。
緊張が走った。この状況で中にいる存在が、望まれざる来客であることがわかったからだ。
腰に携えたダガーに手をかけ、神経を研ぎ澄ませ、息を整える。
少なくとも、中から殺意などは感じない。こちらに気づいた気配もない。
ーーならば、先じて動くのみ。
静かに扉を開け、素早く明かりを灯す魔道具を起動する。
明るくなった室内には、クライスにもよく見慣れた光景が広がっていく。
いつも酒を飲みかわすキッチンとテーブル、壁一面に吊るされた干した香草や薬草に干し肉、何に使うか未だにわからない器具の数々が、どれも整然と並べられている。
几帳面な彼は、どんなに忙しくても決して物を散らかすことはなかったから。
だからこそ、違和感はすぐに見つかった。
干し肉やドライフルーツが保管された一角に、まだ乾いていない濡れた足跡が続いていて、その先には……黒くて丸い塊が座っていた。
全身が濡れた黒い布に包まれているそれが、座っていてかつそれが人型だとわかったのは、その塊から、細い手や脚が少しばかり覗いていたからだ。
警戒しながら眺めていたが、どうやら眠っているらしい。この存在がひとまずの脅威ではないことにほっと肩を撫でおろす。
なぜこんな辺鄙な森の中ーーそれも人嫌いのホーキンスが住処に選んだくらいの深奥ーーにいたのか問いただすため、ひとまず纏っていた布を取って、クライスは絶句した。
中にいたのは、10にも満たない子供であった。
よほど疲れているのか未だ眠ったままだが、
髪は泥や脂に汚れ、頬はこけ落ち、全身が痛ましく感じるほど細い。
なにより、呼吸が荒い。薄い胸は、は、はと上下を繰り返し、全身冷え切っているのに、顔だけは真っ赤に上気している。
商人として世界中ー時にはスラムなんかもーを見てきたクライスでも滅多に目にしないほど、衰弱していた。
（呼吸が、肺がやられてる……栄養も全く足りてない。過労に熱、十数か所の打撲、よくここまで保ったもんだな。）
生きているのが奇跡のような状態。クライスが今日ここに来なければこの子供の生はここで閉じられていただろう。
何をして生きてきたら、この状態で生存できるようになるのか。
その過酷さを想像し、一瞬身震いしたクライスだったが、
一線を退いてもかつては冒険者。迷いなく行動を開始する。
「まずは鍋にいっぱいの湯と、温めるための毛布。それに薬と、栄養価の高くて食べやすいものを……」
消えかけた生命を拾うため、クライスの長い夜が始まった。
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「おなかすいた。クライス、ごはん。」
「はいはい、俺はごはんじゃないけどな」

あれから5年、少女ーローザは、立派に成長した。
どうやらナイトメアであったことが幸いし（境遇を考えれば、絶対にそんなことは言えないのだが）、
普通の人間よりも高い耐性を備えていたらしい。
夜明け頃に容体が落ち着いてからは、目覚めるまで徐々に回復していった。

目覚めてから数日は、それはもう大変だった。
彼女は、こちらをめちゃくちゃに警戒し、まだ回復しきっていないボロボロの身体で外に逃げ出そうとする。
丁寧に捕らえて、飯を食わせ、「俺は敵じゃない」という内容の話を一週間続けて少しずつだが
心を開くようになっていった。
ナイトメアであることをずいぶん気にしているようだったが、俺からしてみれば彼らの性質は頼れる個性の一つであるし、
実際に他のやつにきいてもそう答えるだろう。
むしろ、ローザの村の方が大分少数派だ。

それはそうと、家主であるホーキンスだが、奥の部屋で眠るようにこと切れていた。
病気などもしていなかったはずだし、人間にしちゃかなりの高齢だった。おそらく老衰だろう。
その前に連絡くらい寄越せよ……と思ったが、妙にさっぱりした別れが、
なんだか彼らしくて、あまり悲しくはならなかった。

閑話休題。
そんなこんなで、相当人間嫌いをこじらせていたローザを俺の家に連れて帰るわけにもいかず、
かといって、管理者がいないこの家に一人置いていくのも、なんだか違うような気がしたので
結局ローザの面倒を見るために持ち家を売り、俺はこの家に越してきた。

そこからまあ、すくすくと成長したローザだが、
なんというか、生活能力がまるでないのだ。
料理はできる。俺の誕生日だけは、豪勢な料理を丹精込めて作ってくれるし、これがなかなかに美味い。
毎日これができれば、食堂でも開けるんじゃないかと思うくらいには。
だが、放っておけば干し肉とドライフルーツばかり食べている。
作ってやれば食べるので、基本は俺が作ってやる。
部屋は汚い。気づいたら寝室は本が柱のように積みあがっているし、服はしわしわ。
しまいには一年中寝間着でいようとするほどだ。
汚いのが好きというわけではないみたいなので、片づけてやる。
一応養ってもらっている自覚はあるのか、自分が作った錬金術の成果物や小物なんかを渡してきて、
「これお金にして。きっと足りると思う。」
これを少し上目遣いで言う。申し訳ないとは思っているのだろう、たぶん。
実際これがそこそこの値段で売れるから驚きなのだが。

少し、甘やかしすぎた自覚はある。
子供は好きだが、妻はいないので、当然娘や息子などいたこともない。
そんな俺に、降ってわいてきた娘のような存在が可愛くないわけがないのだ。
性格が怠惰なだけで、根は素直だし、美人だし、しばらく出かけた帰りは玄関先まで出迎えてくれるし、
たまにめちゃくちゃ甘えてくるし、うたた寝してると毛布は掛けてくれるし……
なにより、笑う時の癖が、ホーキンスと同じなのだ。
口角をゆっくりと上げ、静かに、だけど喜色を滲ませながら確かにほほ笑む。
それが、ホーキンスの生まれ変わりのようで、
かけがえのない友を失った俺の心の隙間を埋めてくれていたのかもしれない。
それがよくなかった。ちょっと度が過ぎた。
境遇に対する配慮もあった。いきなり他の人を信じるのも難しいと思うし。
でも
ーーこの子、もしかして俺がいないと生きていけなくない？
掃除もだめ。料理はきっとしない。社会に出たこともないから俺以外との会話ができるかもわからない。
……これに関しては外に連れて行かなかった俺もだいぶ悪いな。
それに、どうやって金を稼ぐ？
まだ俺が動けているからいいが、俺もいい歳だし、いつ動けなくなってもおかしくない。
そうしたら、誰がこの子の面倒を？
誰かに娶って…………嫌だ。まだ娘はやらん。
それに、「生活できないから嫁に行け！ 」は親代わりとしてもさすがにまずいだろう。
時代錯誤というか、倫理観とか。

「ごちそうさま。今日も美味しかった。」
「はいはい、お粗末様。」
「それでクライス、話って何？」
「ああ、それなんだがな……」

だからこそ、心を鬼にする。
この子が、ちゃんと1人で生きていけるように。

「俺、足怪我したんだよな。」
「……は？普通に今歩いてたよね？というか、今日のごはん兎だったでしょ。獲ってきたんじゃ」
「いや、俺は足を怪我したんだよ。」
「その心は？」
「出ていくんだ、ローザ。」
「え？」
突然の宣告に、ローザが青ざめる。
当然だ、唯一味方だと思っている者にそんなことを言われては。
「冗談だよね？」
「いいや、俺は真面目だ。
俺は本当に怪我をして、金がなくなりそうなんだ。
少しでも生活資金を浮かすために……
ローザ、一週間以内に荷物をまとめるんだ。」
冗談ではないと理解したのか、
その目にはじんわりと涙が浮かび、肩をおさえ、ぶるぶると震えはじめた。
「どうして？私が怠け者だから？お金が足りない、そうだよね、お金が足りないんだよね。
だったらほら、私、できることなんでもするから。
食べ物ももいらないし、木の皮だって、泥だって食べるよ。
なんなら身体だって売るから。だから……」
「い、いや、すまない。言葉足らずだった。
俺はローザを大切だと思ってるし、できるならずっと一緒に暮らしたいと思ってるよ。」
しゃっくりをあげて懇願し始めた彼女が泣き止む。
いや、本当に申し訳ないことをした。まさかそこまで必死になるとは思わなかった。
「でも、だめなんだ。
このままだと、ローザは俺がいないと生活できない子になってしまう。
それでは君が、幸せになれないんだ。」
「どうして？私はクライスと一緒に暮らせて幸せだよ？」
ぐっ…………どうして今日はそんなに素直なんだ！
いつもならもっとつっけんどんとしてるのに！
ツンはどうした！ツンは！
どうしたって可愛い姿に迷いが出てしまう、甘さが湧いてくる。
でも、これは俺の問題ではない。
彼女のためを思ってのことなのだから。
「俺も幸せだ。だがな、お前はもっと、幸せになれるんだ。」

俺はもう十分にいろいろなものを見た。学んで、多くの人と関わり、
色んな景色を見て、それぞれの思想、生き方、哲学に触れた。
辛いことや苦しいこともたくさんあった。だがそれ以上に、
楽しく、尊い日々であった。苦楽を共にした仲間もできた。
だからこそ、ホーキンスのようなかけがえのない友と巡り合い、
妻のいない俺に、目に入れても痛くないほどに愛する娘ができた。

だが。そんなかけがえのないものは、ここにいるだけでは決して手に入らない。
狭い世界の中では、触れられるものに限りがありすぎる。
今のままでも幸せだと感じてしまうだろう。彼女はそれ以下の生活しか知らないのだから。
それでは、だめなのだ。

「ローザ。
世界は広い。お前にとっては、きっと怖いものにしか見えないと思うし、
今までは実際そうだっただろう。俺も怖い目にたくさん遭ったよ。
でもな、それだけじゃないんだ。
世界には色々な素敵なものがあるし、大切だと思える人たちがいる。
だから俺は最高に楽しかったし、心が通じる友にも、
こうしてお前にも出会えた。
俺は、俺が今までしてきた体験を、楽しさを、
お前から奪いたくないんだ。」
「大丈夫。俺はずっとここにいるから。
どうしても辛くなったら、帰ってきてきてもいい。
だから、少し、頑張ってみないか？」

結局、説得に5日かかったし、とても泣かれたし怒られた。
泣き落としはズルだろう。どうしてあんなにテクいんだうちの子は。
結構伝えたいことは伝えても、なかなか首を縦に振らない。
まあ、だから、せめて納得してもらえるように、
今まであまりしてこなかった、俺自身の話をした。
数々の冒険を。助け、助けられた日々を。
初めて物を売った時の話を。人の役に立てた嬉しさを。
そして、ホーキンスと語り合った思い出を。
全部話し終わった後、しぶしぶだが、ようやく決心してくれた。

旅立つ彼女を見送った朝、滅多にしたことのない
祈りというのをやってみた。
神様のことはよくわからないから、叶えてくれそうな神様へ。

生まれを嘆いた彼女が、それを誇れる日が来ますように。
誰も信じられなくなった彼女が、背中を預けられる仲間に出会えますように。
弱い部分を、受け入れてくれる友ができますように。
5年付き添った俺ですら解きほぐせなかった彼女の罪の意識を。
償いなどいらない。生きて、愛されていいのだと。
心から伝えてくれる人が、見つかりますように。