かつてのモレーンは、他の一般的レプラカーンと同様に恥ずかしがり屋で内向的、孤独を好む性格であった。
両親とともに放浪生活を送っていたが、コルガナ地方『悪徳の街』にたどり着いたところで両親とはぐれてしまう（棄てられた可能性あり）。
歳のころ11歳と自立にはまだ遠く、お金も持たされていなかった無力なモレーンは、ほどなく街の暗部に呑まれてしまう。汚れた路地裏に伏し、飢え、渇き、絶望のまま徒死を待つのみの身となった。

そんなところにグラスランナーの隊商が通りかかり、彼女に『世界でいちばんおいしいレモネード』と称する果実水を与える。芳醇な香りを放つ薄黄の液体を一口すすり、濃厚に調和された甘味・酸味・苦味のハーモニーを舌と喉に感じ……次の瞬間、モレーンの自意識は彼女を苛んでいた絶望や飢餓ごと『こわされた』。
モノクロームな暗視の視界はまたたく間に極彩色で溢れ、数万匹の鳥や蝶が彼女の周囲を飛び回り、天上の音楽が耳の内でわんわんと鳴り響き、歓喜と活力が頭の中で繰り返し弾けて、弾けて、弾けて、叫んで、震えて、―――。

―――。

――次にモレーンが『正気』を取り戻したとき、彼女は遥か南方、ブルライト地方ユーシズ近郊の森の中にいた。
驚くべきことに『レモネード』を飲んだ瞬間より2つもの季節が過ぎていたが、その間の記憶は一切なく、それ以前の記憶も極めておぼろげなモノとなっていた。特徴的な耳から自分がレプラカーンで、衣服に縫われた刺繍から自分の名が『モレーン・ストロウ』であることが実感なくも分かるのみ。……しかし、あの『レモネード』の味だけは今も鮮明に覚えている。まるで舌に刻み付けられたかのように。
周りを見回しても、両親はもちろんグラスランナーの隊商もいない。半年前と同じ孤独。しかし今のモレーンは、悪徳の街のどん底で死を待つのみのか弱いレプラカーンではなくなっていた……己が生きるために何が必要で、そのために何をすればいいかが鮮明に分かる。いつ学んだのか全く自覚がないが、ともかくその直感に従いモレーンは自立し、すぐに冒険者となった。

レプラカーンとは思えない外向的・刹那的・享楽的な性格は「まるでグラスランナーだ」と評され、自分でもその評価に違和感を抱きつつも、徐々にそんな自分を受け入れていく。性格を活かせるなら冒険者以外の『仕事』にも手を付けた。
旅ぐらしの中で北方に向かったこともあったが、『悪徳の街』を再訪しても何ら思い出せる記憶はなく、両親や隊商の手がかりもない。おぼろげな過去を拠り所にするのは早々に辞めたが、それでも未だに『世界でいちばんおいしいレモネード』の味だけが脳内にべっとりとこびりついている。自分にその味を教えたグラスランナーの隊商を再び見つけられたなら最良だが、それが叶わないならせめて自らの手であの時の味を再現すること……それが彼女の生き甲斐である。

ちなみに、他の言語は冒険者となってから学んだのだが、魔神語についてだけはいつ習得したかを思い出せない。