沿岸部の人間の街と、内陸のエルフの街。
物理的な距離や道中を闊歩する魔物の脅威もあり、活発とは言えないまでも互いの街は交易を行っていた。
さて、交易を行うからには責任者となる者が必要である。
フラウの父は貿易商だった。
閉鎖的（この場合、滅多に街の外に出ることがないという意味）であった住民の中では珍しく外の世界に興味を持ち、成人してすぐ人間の街に出向いて商売を学んだ。
故郷の長に人間の街と交易を行うよう、熱心に持ち掛けたことで双方の窓口を務める事となった父は、これ幸いとばかりに自らの学んだノウハウを注ぎ込み、双方の発展に尽くすことになる。
商才と情熱を兼ね備えていた男は一代にして成功を収め、仕事のさなかに出会った人間の女性と結ばれ、二人の子宝にも恵まれた。フラウと、その弟だ。
フラウは父の理知的な部分を、弟は情熱的な部分を受け継いだのか。それぞれが商売と外の世界とに興味を持ち、父と母から様々な物事を学び、すくすくと育つ。
性格は似なかったが姉弟仲も良く、全ては順風満帆かと思われた。

そんな矢先、引き起こされたのが大破局である。

たまたま所用で人間の街に出ていたフラウと弟は、故郷の街が焼け落ちたということを人伝で知った。生存者は一人もいないということも。魔動機に疎いエルフたちだったが故に、攻め落とすのも容易かったのだろう。
当たり前のように甘受していた日常は音を立てる間もなく崩れ去り、狂瀾と血臭に塗れた日々へと様変わりする。
端的に言えば、地獄だった。
蛮族の怒号は絶え間なく轟き、見知った顔が次の日には口を利かぬ骸と成り果てる。鼻を付くのは肉の焼ける臭いと腐敗臭、耳にこびり付くのは悲鳴と嗚咽。
希望を見出す者はなく、命があることを幸運と呼べるのかさえ分からない。
それでもフラウは、ただ生き延びるために力を尽くした。たった一人残された家族である弟を守るためにも、死物狂いで戦わねばならぬと決意した。弟もまた、姉と同じように戦った。
ともすれば狂気に陥りそうな日々が続いて、一体どれだけの時間が流れたのか。
弟の背丈が自分の頭を優に越した頃、突如蛮族の進攻が弱まり、人族の反撃が始まった。
蛮王が死んだと聞いた。行方不明になった、とも。
真相は定かではないが、付け入る隙が生まれるだけの何かが起きたことだけは確かだった。
そうして、いつの間にか戦いは終わっていた。
人々は手を取り合い涙を流し、命あることに歓喜の声を上げ、抱擁を交わし絆を確かめあった。

だが、戦争が破壊するものは文明や命だけではない。
荒廃は、人々の心でさえも荒ませる。崩壊した土地からは秩序が消え失せ、にわかに人族同士の諍いが増え始めた。
小さな喧嘩から、特定の勢力同士に分かれた抗争まで。
醜悪なものをたくさん見た。口に出すのも憚られるような仕打ちを受けたこともある。
他人の顔と名前が覚えられなくなったのも、確かこの頃からだったはずだ。

フラウの弟は、エルフである父に似て恵まれた体躯を持つ、母親と同じ人間だった。
そしてフラウは、小柄な母親に似て華奢な容貌だったが、父親と同じエルフだった。
故に、エルフの中でも特に小柄な姉をかばい、守り、弟が代わりに傷を追うことも多々あったのだ。
無論、出会ったすべての相手がそうというわけではなかったが、心の内に人間への恐怖心を植え付けるのには十分な経験だった。

「確かに、我々は同じ人族だろう。だが、それは獅子と鯨を同じ生物と括るようなものだ」
「ただ同じ分類なだけで、何もかもが根本的に違う」

老いてゆく弟とは対照的に、若々しい、少女と言っても差し支えのない容貌を保ち続ける自分。
同じ血を引いているはずの肉親との『差』を目の当たりにして、その考えはより強固なものとなる。
それでも、姉弟の絆は変わらなかった。弟の体裁を考え、彼の『娘』ということにして、住処を転々としながら二人の肉親は睦まじく暮らした。
戦争が終わってから数十年。弟が天寿を全うする時まで、この生活は変わらなかった。変わらなさすぎた。

「オマエは、商売に興味はあったようだが、商才はなかったな」
「新商品として売り出そうとしていたのが、こんなものだけでは儲けも出まい」
「しかも、あの頃はもっとまずかった」

樹液を煮詰め、砂糖と香料を混ぜ込んだ噛み菓子を口にして、数度咀嚼。口の中に薄く広がる甘味を感じ、高台の広場にある手すりに体重を預けながら、様変わりした街並みを眺めてフラウは思う。

この世に、最早フラウが何者なのかを理解している者は存在しない。
弟が死んだ後も、一か所に留まる事なく、当て所ない放浪を続けていた。そんな中、ふと思い立って肉親と最期の時を過ごした街へと訪れてみたら、こんなものを見付けてしまった。
それは、かつて弟が開発したもの。あの頃はまったく流行らず、一財を築くほどではなかったが。
あの後、彼の生み出した細やかな成果は商家の目に留まり、改良を重ね現世へと受け継がれていたのだろう。

想いは、未来へと繋がる架け橋である。

自分は何かを残せているのか。
最早記憶は遠く、両親や弟の顔も名前も、朧気にしか思い出せない。
ただ死なないためだけに続けていた空虚なだけの生の意味を、今更ながら考え始めた。
確か父は、こう言っていた気がする。『私の成したことが、ひとつでも後の時代にまで残っていれば、何よりも誇らしいと思えるさ』と。
弟は、あの言葉をずっと覚えていたのだ。

ああ、それなら、そうだな。
私も何かを残せれば、とても嬉しい、かもしれない。

深く帽子を被り直して、街並みに背を向ける。
そのまま、街の門を目指して歩き始めた。

何が出来るのかは分からないが、まずは何が出来そうなのかを探してみることにしよう。

そういえば、最近は『冒険者』という者達をよく見かける。
傭兵のような便利屋のような、自分にはあまり馴染みのない職業であったが故に、まったく気にすることなく生きては来たが。
心機一転の切っ掛けとして、なってみるのも悪くない。かもしれない。
ただ一人、今の時代にまで生き残った『フラウ』として。

「……しかし」

立ち止まって、口の中に貼り付く噛み菓子に息を吹き込み膨らせる。
こうすることで遊ぶこともできるんだぞ、と自慢げに語っていたっけか。

「やはり“これ”は、そんなに旨くはならなかったみたいだぞ。ロシェル」