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優しい両親に恵まれて、温かい家庭に恵まれて。当たり前だけど、ボクはそれをありがたいことだってわかってた。世の中には親の愛を与えられない子だっているんだから。受け入れられない子だっているんだから。ボクは、幸せ者だった。
だからこそ、ボクはボクを受け入れられない。
幼馴染の抱いていたクマのぬいぐるみ。ありきたりで、取るに足らないぬいぐるみ。取柄は唯一、可愛らしいということだけで。でも、それで十分。だってこれは可愛いんだから。抱かせてもらったボクは顔をほころばせてしまう。だって、可愛いから。こうして抱いているだけでもボクの心はぽかぽかして。だからそれで十分。可愛いモノってだけで、そこにあるには十分で。でも、それ以上に———
可愛いこれを抱いたボクはもっと、可愛かった。
それがすべて。可愛いモノはボクをかわいくしてくれる。それを知ってしまった。それからだ。ボクが可愛いものが好きになったのは。可愛くなりたい。きれいになりたい。女の子であったなら、それはきっと向上心。
でも、”ボク”だったら?スカートはかわいい。ふりふりのついた服は可愛い。でもボクがそれを求めるのはおかしいことで。お母さんが用意してくれる服は可愛いとは真反対。かっこいいヒーローがプリントされたシャツ、かっこいい怪獣が描かれたトレーナー。お父さんそそれを着たボクをみて、かっこいいって言ってくれる。そこに別の気持ちなんてない。本当に、ホントにボクは、愛されてる。だから、ボクが違う。きちんと喜べないボクが違うんだ。
でも、それだけだった。中学生になっても相変わらず、ボクは可愛いモノが大好きで。そのころにはきっと両親もボクがすこし他とは違うって気づいてて。でも、それでも両親は変わらず愛情を注いでくれて。それはとても、ありがたいこと。それはとても、幸せなこと。だから成長しても、ただ可愛いものが好きなだけだった。すこしちがうだけのボクでいられた。そのうちにただの個性だって受け入れられるって思えたんだ。———でも、成長がボクに与えたのは自分を受け入れるための余裕だけじゃない。与えられたのは恐怖もだった。このまま成長したら、きっとボクはかっこいいになってしまうって。ひげが生えてきたって喜ぶ同級生。のどぼとけが浮かんで声の変わった同級生。筋肉がついて体が大きくなっていく同級生。……それはとても喜ばしいことのはずなのに、ボクにとっては恐怖でしかなかった。だって、可愛いものから遠ざかるんだから。別離はすぐそこ。その恐怖は日を追うごとに増していく。誰にも言えない、誰に言ってもきっとわかってもらえない恐怖。……そんな時だった。ソレが目に入ったのは。いつもなら気にも留めないものだけど、ボクにとってそれは天啓のごときものだった。お母さんが使っている化粧道具。それを手に取り唇に触れさせ紅を引く。ただそれだけ。ただそれだけのことなのに、鏡台に映ったボクはとっても可愛くて。
ボクはまだ、可愛くなれる。まだクマを抱いた時のように、可愛くなれる。救われたような気がした。でも、唐突に鳴った物音がボクを現実に引き戻す。鏡越しに合う瞳は驚きに見開かれたもの。ボクを愛してくれているお母さん。気づきかけていたことを、決定的にしてしまった。ボクが"違う"って理解させてしまった。……だけど、そんなボクにお母さんは言ったんだ。「似合ってる」って。いつもと同じほほえみを浮かべて近づいて、もう中学生なのに、ボクを優しく抱きしめてくれて。……ボクを受け入れてくれたんだ。こんなボクを。普通と違うボクを。違うモノとして排斥せずに、ただただ普通に、受け入れてくれた。
ボクを受け入れてくれたのはお母さんだけじゃなかった。お父さんも、「いつ言ってくれるのかって待ってたんだ」って、ボクにふりふりの可愛いドレスみたいな服をプレゼントしてくれながら。ボクはとても温かくて幸せな場所にいる。それに両親だけじゃない。いつかクマのぬいぐるみを抱かせてくれた幼馴染もまた、「知ってたよ。でも、そんな〇〇君でも好きだよ」って、受け入れてくれたんだ。それが親として当然という顔をして、大切な人だから当然という顔で。あぁ……本当に、ボクは幸せな場所にいるんだ。
だからこそ、ボクがおかしいんだ。いくら受け入れてくれたって、いくら好きって言ってくれたって。ボクがおかしいのはただの事実。
受け入れるというワンテンポ。ボクはボクなんだからって飲み込むためのワンクッション。
その刹那がとても心苦しい。それをさせてしまうのが、飲み込むための刹那を強いてしまうのが、とてもとても、嫌なんだ。
でも、その心は隠したまま仮面をかぶる。優しい両親と、そして流れで付き合うことになった幼馴染と、これからボクは生きていく。幸せな仮面をかぶったまま、生きていく。きっと大丈夫。だって、ボクにはボクを受け入れてくれるみんながいるんだから———
でも、彼女は別れを切り出した。
彼女は語る。
苦痛だったと。普通とは違うのはボクなのに、なんで自分までおかしいものを見る目で見られなきゃいけないのかと。
彼女は語る。
煩わしかったと。ボクさえ普通でいたのなら、面倒なことなんて起きなかったのに、と。
彼女は語る。
疲れた、と。どうして面倒なことが起こるたび、彼は普通とは違うんだからって一拍置かなきゃいけないのか、と。
そうして、画面の中の彼女は語る。
ボクじゃない他の誰かの方がいい、と。
LGBTとかなんとかって騒がしいけど、違うんだ。それを受け入れてほしいわけじゃない。だって、異物だもん。そんなこと、ボクが一番わかってる。それを受け入れる義務を作ってほしいわけじゃない。ボクのココロはボクのモノなことが当然のように、他の人のココロは他の人のモノだから。
それが当然だから、それが義務だから、それが、ソレガ…。
協調性とか、共感とか、同町圧力とか。あぁ、なんて。
なんて———くだらない。
嫌なら嫌とはっきり言えばいい。それを受け入れるのが多様性?受け入れられないものを受け入れるのも多様性の否定だろう。互いの配慮は必要だけど、ココロを押し殺してほしいわけじゃない。
ボクはボクが配慮を押し付けてしまうこの社会が、大っ嫌いだ———