容姿・経歴・その他メモ
資料 -およそ1年前
雨の降りしきる午後、高級料亭の縁側を二人の男女が歩いていた。濡れぼそった庭園には枯れ木が露に濡れ、小刻みに相槌を打っている。
女性は非常に高齢で車椅子に座っており、男性は若く、埃ひとつない綺麗なスーツを身にまとっている。車椅子を押すその青年の歩みは、老婆を優しく気遣っており、まるで湖面を行く船のように静かだった。
その二人の前に、長身の男性が立ちふさがった。
「失礼ですがこれより先、そちらの方はお入りになることはできません」
高齢の女性と青年は顔を見合わせたのち、青年が言った。
「お婆様は非常にお体の具合が悪いのです。付き人は必要かと」
長身の男はため息をつくと、ゆっくりと首を横に振る。
「この会合は、誰かの発言一つが日本全体の経済を動かし得るような重要な方々が集まるものです。もし会話の情報が漏れたりしてみてください。少なくとも私の命はないでしょう。私どもはともかく、あなたのような若い方に、そんな危険を侵させることはできません」
「私のことなど別に……」
車椅子に座っていた老婆がそっと右手を上げると、青年はハッとして発言を控えた。老婆は真っ黒なドレスに身を包み、髪を上品にまとめ、大粒の真珠のネックレスが並ぶ胸元を開いていた。車椅子に座っていなければ、病人であるとはだれも思わない。
「この付き人は、付き人でありながら私そのものと言っても過言ではありません。危険の心配は不要です。それでいて、私の健康を保証するうえで手放しようがない大切なものです。それでもだめですか?」
長身の男は少しだけ悩むそぶりを見せてから、深々と頭を下げた。その所作には、本当に申し訳ないのだという口惜しさがあふれ出ていた。
「申し訳ございません。それでもやはり、難しいでしょう。マダム・ロクドウジおひとりでの入室をお願いします」
ロクドウジと呼ばれた老婆は、その答えを知っていたかのようにうなずくと目をつぶった。青年はそれが老婆の考え込む姿であることを知っていたが、知らないものが見れば死んでしまったかのようにも見えなくはない。
老婆が黙り込んでしまっては、男性たちは二人とも何もできなかった。
この老婆もまた、そんな重要な会合の参加者の一人だ。彼女に意見できるものなど日本では数えるほどしかいない。
やがて、老婆は目を開けると廊下に響く大きな声で言った。
「決議を求めます」
青年には一瞬、その凛々しい声が老婆のものだとわからなかった。
長身の男性はその言葉に向こうへと振り返り、廊下の奥を見た。どうやら老婆の言葉は彼へのものではなく、この奥にいる人物に対してのものだったようだ。
「決議内容は、私が命を預けているこの者、"柳 清心"の同伴です。この者なくして、長い会合を耐えることは私には難しいでしょう。この者の同伴、ひいては静聴の許可を求めます」
続くその言葉には青年が耳を疑った。内容の漏洩は関係者の死を意味する。そう聞かされたばかりだというのに、その内容を自分が聞けというのか。信頼されているとかそういう次元の話でなく、病の影響で頭がおかしくなってしまったかとも考えた。
たとえ青年に話す気がなくとも、青年が参加したと外部に知られれば、拷問でも何でも、聞き出す手段はいくらでもある。そういうリスクを老婆が知らないはずもなかった。
さすがの事態に、長身の男性も戸惑っているようだ。
しかし当の老婆といえば、発言を終えると今しがた見せた覇気を直ちに失い、物静かで品の良い老人に戻っていた。
落ち着き払ったその態度に、青年は理性を見た。
単に彼女はそういう人物なのだ。
「戸を開けなさい」
やがて襖の奥から、老人の声がした。
呆然としていた長身の男性は気を取りなおすと、躊躇しながらも、指示に従い襖を開いた。
その部屋はこの土地で、最も格の高い部屋として扱われている部屋だ。
広々とした座敷の中央には、和風には似つかない、巨大な黒い大理石の円卓が置かれており、それを囲むように人間が4人座っていた。
よほどイレギュラーなのだろう、それを見た長身の男性が鼻息荒く唾を飲んだ。
向かって右奥に座る白髪の老人が口を開く。
「そこの彼は、この場にふさわしい人物とお考えだと?」
青年は自分に視線が集中するのを感じた。
これがどういった会合であるか青年は聞かされていなかった。そのためすごい人の集まりなのだろう、程度の認識しかなかった。
だがそこに居並ぶ人々を前にして、その認識を改めた。
青年は実戦での戦闘経験を多く積んでいた。それはひとえに、護衛対象である老婆に降りかかる脅威によるものだ。過酷な世界を生き抜くすべは十全に身に着けてきたという自負がある。
しかしこの場に満ちた空気から測れる脅威はそんな程度ではなかった。
長身の男性が言った、発言一つで日本が動くというのも、比喩でないことが感じ取れた。むしろ彼らこそが……日本なのではないだろうか?
そんな人々の目線が今、青年に注がれている。落ち着き払って誰にも聞こえないよう、口から細く長く息を吸ったが、まるで吸った気がしなかった。
老婆は静かに答える。
「ふさわしいかどうかではありません。私が必要としているからです」
「わははは、相変わらずわがままだ。私は構わないですよ。しかし……他の方々はどうでしょうか」
白髪の老人は楽しそうに髭を撫でた。
青年に他3人の顔色はわからなかった。3人が揃って青年を見つめている。彼らは厳密に品定めする鑑定士のようでもあったし、退屈な演劇に嫌気がさしている観衆のようにも見えた。
「許可を下さる方は挙手を。それでは決議を始めます」
青年が握る車椅子の中、マダム六渡寺が堂々と右手を挙げながら言った。
右奥、先ほどの白髪の老人は真っ先に手を挙げた。よく見ると全員が目を伏せている。青年が老婆の顔を覗き込むと、老婆も同じように目を伏せていた。そういうルールなのだろう。
青年にとって、この決議がどうなろうとどうでもよかった。
マダムがついて来いといえばついていくし、外で待てと言われれば外で待つ。それだけが自分の仕事なのだ。命令を受けるしか能のない無知なしもべでいたいと、心の底から思っている。
いやしかしと青年は心の底で葛藤した。無知なしもべでいたいのであれば、こんな場であっても堂々と、ただ決まった命令に従い続けるのが、"よりよい無知なしもべ"なのかもしれないと自分に言い聞かせた。
ようするに彼は、どうとでもなれと思った。
「1分経ちました。開示を」
老婆がそういうと、全員が顔を上げた。
青年は目を閉じろとも言われておらず、ずっと見ていたためすでに結果を知っていた。
「賛成2票。反対3票。したがって否決とする」
老婆は何一つ感情を出さず淡々とした口調で、結果を口にした。
手を挙げていたのは老婆と、最初に挙げた白髪の老人だけだった。
「清心、帰りましょうか」
「えっ? し、しかし……」
「清心」
有無を言わさぬ強い語気で、老婆は青年の名を呼んだ。
もうこうなっては仕方なかった。青年はバクバク鳴っている心臓を落ち着かせながら、廊下の幅をめいっぱい使って、車椅子をゆっくりと転回させた。
そうして廊下を戻ろうとした時、背後から声がした。
「あなたが参加しなければ、我々はほぼ間違いなく半導体事業から手を引く」
その声の主は、真ん中の奥に座っていた恰幅の良い老人のものだった。
「そうですね。決議に参加するもので決めるとよいでしょう」
「中国資本の牽引という繊細な役割は誰がやるんだ?」
「それは以前申した通り、牽引できるとまだ思っているものがやるべきです」
恰幅の良い老人は思わず頭をかいて、あぐらを組みなおした。
「なんとも言い難いが……あなたも……いや、あなたですら、所詮ひとりの人間だったということを、我々に証明してなんの意味がある?」
その返答には少しだけ間があった。
やがて老婆は言った。
「金は人ではないし、人は金ではない。それがわかるだけでも、少しだけよい地獄に行けるとは思いませんか?」
その答えに、白髪の老人が大声を出して笑った。
老婆は白髪の老人が爆笑したことに満足したかのように、自分も微笑みを浮かべてから、目を閉じた。
笑い声が止んでからはもう、誰も口を開かなかった。
青年は動揺しつつも、さすがに良いだろうかというタイミングを見て、車椅子を押して料亭を出た。
いつのまにか雨が止んでいた。
車まで少し距離があるが、車椅子を押していくことにした。砂利道にできた水たまりを大きく迂回しながら、青年は尋ねる。聞きたいことがたくさんあった。
「なぜ私をあのような場へ?」
老婆は不機嫌そうに鼻から長く息を吐くと、青年のほうを見て答えた。
「あなたには強くなってもらう必要があった。戦闘だけでなく、あらゆる場においてね」
青年は首を振る。
「わかりません。なぜ?」
「私はもう長くなく、私の持つすべては下の者へと受け継がれていくでしょう。しかしそうして渡る財産や権力は、受け継ぐ者に何も語らないのです。間違ったことも、正しいことも、何一つ指し示さない」
「それが……金が人でない、ということですか?」
「ああ、そう言われてみると確かにそういう意味を含むのかもね。そうね、だから私が所有する人。あなたが語るの。正しいことや、間違っていること。私の理念を」
「……僕がですか? 何が正しいかなんて、何一つわかりません。ましてや理念なんて、学んだ記憶はありませんよ」
「教えた覚えなんてないわ。けれどそれでいいの。でも本当は今日、いろいろ教えるつもりだったけれど、こうなってはしかたないでしょうね」
青年は車椅子を介護も可能な黒い高級ワゴン車の隣につけながら、なんのことか考えた。あの会合に参加することがその"教える"ことだったとすれば、まったくもってスパルタであるなと青年は少しあきれた。あきれてようやく、あの息苦しい部屋から出てこれた気がして、知らずに肩に入っていた力が緩むのを感じた。
「まったく……そういうことでしたら、まだまだお婆様には元気でいてもらわなくては困りますね」
用意したスロープで車椅子を乗せながら、青年は微笑む。
「私が元気であろうとなかろうと、世界は私を中心に回っているの。それでいいでしょう?」
「ええ、確かにそうですね」
車のエンジンをかけ、駐車場からバックで出しながら青年はあえて明るい調子で尋ねてみた。
「世継ぎはもう決めたのですか?」
しかし返事はなく、老婆は寝静まっていた。
表情に出さないようにしていたがやはり疲労していたらしい。それも無理もなかった。入院してからこの数か月、1時間以上外出したことなどなかったのだ。
もはや特殊メイクに近い厚化粧がなければ、すでに悪液質が出ている老婆の顔は末期患者のそれでしかない。
「……なんでもありません」
青年は車を運転しながら、呆然と自分のことを考えた。
来年で20になる。子供ではなくなる。何かに秀でているわけでもなく、10代はただお婆様からもらった恩を返すのに必死だった。勉強も戦闘も、人並みにできるようにはなったが、それは自分のものではない。お婆様にいずれ返すはずの、借りているだけのものだ。
お婆様は国を動かせるほどの力がある故、敵を作りやすい。いや、むしろ経済について学んでみてから見返せば、積極的に敵を作り破壊してきたからこそ、その莫大な力を手に入れたようにも思える。お婆様の姿勢は基本10:0のトレードを求める。今日のあの決議と同じように……。
なぜそれで破綻しなかったのか?
それは彼女が"六渡寺だから"だとしか言いようがない。
そんなお婆様の跡継ぎ問題は、一言でいえば「地獄」だった。
青年の親もよい親とは呼べなかった。家庭とは青年にとっての地獄だった。しかしお婆様の家族関係も、それはそれでまた違った地獄だった。血がつながっているからなんなのだと、家族という言葉が世間で美しく使われるたびに、青年は世間を憎んだ。
「お婆様の世継ぎなど、"クソ"ではないですか……」
青年は長く封印してきた暴言を吐いた。なんなら聞こえてしまってよいと思っていたが、老婆は寝静まっていて起きる気配は微塵もなかった。
青年は願った。彼女の死とともに、彼女が成したものを、彼女があの世へすべて持ち去ってしまえばいいのにと。
そうすれば、自分もきっと連れて行ってもらえるだろう。
なぜなら青年は、老婆の所有物なのだから。
202X年 11月2日 午前5時42分
六渡寺榮子 86歳没
死因:膵臓癌
夜間に容体が急変したためか、家族への連絡もむなしく看取ることのできた者は2人しかいなかったという。
財産については遺言が優先され、およそ6割が孫娘である〇〇〇〇に贈与されることなった。それを不服とした榮子の息子である真治がひと月後に裁判を起こしたが、すぐに不自然に取り下げた。当時の真治はひどくおびえていたと弁護士の手記にはあるが、真意は何一つとして不明である。
・六渡寺という苗字は仮名です。好きなものにしてください
・老婆もオーヴァードです。自分と同じように、オーヴァードである人間にしか心を開けず、それを上手に隠して生きているといつのまにか「金にしか微笑まない女」だと世間からは強く嫌われました。そうして嫌われていることを受け入れているうちに、よりそういうイメージが強くなるように動いてしまったことを悔やんでいます。
・老婆が愛した家族は同じオーヴァードである孫娘ひとり。どのような愛情表現をされていたかは、孫娘しか知りません。(きちんと愛情表現する人間であることをつい世間に隠したがったことと、隠したがっていることを孫娘が知っていたから)
清心のことも愛しましたが、それは愛というよりは、清心の境遇に自身を重ねてしまっただけです。もはや清心のことを自分と同一視してしまっており、老婆は清心だけには、自分を傷つけるかのように清心を傷つけることを良しとしていました。そのせいで清心は老婆に依存しました。清心は依存先を探すかのように孫娘のもとへと向かいますが……まぁできないでしょうねという感じです。
イメージを形にしたものなので、ありとあらゆる場所をいくらでも変更してもらっても構いません。(そもそも老婆のデータはない!)
くそながくなって本当に心の底から申し訳ないです……。ここまでもし頑張って読んでくれてたら、超ありがとう!感謝~~~~~ハッピ~~~~!!!!