自身の過去の多くが消え──自身の中では存在していると思い込んでいるものもあるが──それでも宗真は表面上、取り乱すことはなかった。
それは今では真実なのかどうかでは定かではないものの一度大きなものを失ったために得られた耐性のようなものだった。
しかし今までの自分の全てが虚構だと突き付けられて平然としていられる人間は存在しない。
確かに彼女はああ言ってくれた「……神白くんは……神白くん、だよ……」と。それは間違いなく自分を勇気付けようと、あるいは安心させてくれようとして言ってくれたことで。
けれど、けれど、人を紡ぎあげるものが過去ならば、記憶ならば、それが全て虚構だったのだと突き付けられてしまった俺は一体なんだ！？一体誰だ！？｜神白宗真《俺》とは一体何を指す！？俺は何であればいい！？俺は誰であればいい！？君は俺の何を見て俺だと判断する！？それは本当に｜俺《神白宗真》なのか！？
誰にも共有できない、理解できはしない苦しみを抱えながらも、誰にも訴えることも出来ずに、宗真は新たな生活に耐えている。
いつか再びやってくる”アナイアレイター”との戦いに備えて。

もし、もし、お前が俺を無理矢理仲間にしようなんて考えなかったら俺はお前の傍のいただろうに。

今となってはもう赦すことのできない、敵との｜再会《必ず殺す》の日を待って。

いっそのこと、本当に何もかもが0であれば良かったと思うことになるとは想像すらしていなかった。
お前の正体は西洋の神話に出て来る存在そのものだなんて、失笑すらできない冗談だ。笑えないのは、俺を取り巻く環境はそれを真に受ける連中で固められてるってことだ。本当に、救えない。
今までは──アナイアレイターさえ排せば、俺を非日常に引きずりこもうとする者はいなくなるものだと思っていた。化け物になったなりに、何もないなりに、平穏に暮らして行くことが、出来るのだと思っていた。

俺のささやかな願いはすべて、奪われて行く定めらしい。

アナイアレイターを排せたとしても──俺に待つのはあの”マンイーター”のような、俺の力を狙い襲ってくる連中との逃避と戦いの日々だ。
それはきっと、俺が死ぬまで終わることのない。

そんなことのために死ぬなんてごめんだ。
そんなことのために自由を奪われるのもごめんだ。
そんなことのために誰かを巻き込むこともごめんだ。

だから、俺は、誰とも一緒にいてはいけない。
彼女を、俺のこのクソに塗れた生に付き合わせてはいけない。

にもかかわらず、俺は彼女を説得する言葉を持たない。
にもかかわらず、彼女を失えば俺の精神は参ってしまうだろう。

本当に笑えない。本当に、本当に、救いようがない。

他の人からどう見えているのかは分からないが、少なくとも今回のことは驚きも怒りも俺にはなかった。いずれそうなるであろうということは簡単に予測が出来た。──もちろん、死を受け入れるかどうかは別の話だ。

受け入れられないことはもう一つある。

彼女に植え付けられたものがあるということだ。本来なら背負わなくていいものを、俺が存在するせいで、背負わせられている。
勇ましい彼女が京香さんにだけは怯える違和感の正体を、知ってしまった。
存在することの罪を世界に対して贖うつもりはない。その義務があるとは思わない。
けれど──俺のせいで変えられてしまった彼女の今までを取り戻す義務はあると思う。
そのための障害は全てを取り除く。
彼女の献身に応えられるのはきっとそれだけだ。


その代償に何が必要なのだとしても


それだけが、今の俺の願い