父は、真面目な人だった。母は、優しかった。
「良いか紫乃
良いことも悪いことも、巡り巡って全部自分に返ってくるんだ、それを忘れちゃ駄目だぞ」
「うん、おとうさん！」
父の言葉は、良く覚えている。なら今殴られたり蹴られたりするのは、きっと私が悪い事をしたからだ。
「紫乃、おいで」
そう言っていつも優しく撫でてくれた母の手は、昔ととは比べようもない程頼りなくなってしまった。
「俺はこれが無いと駄目なんだよッ！お前も俺から何か奪おうって言うのか、ええ！？」
「そ、そんな…つもりじゃないの…ただ、それ以上飲み過ぎたら、本当に身体…うぐっ…！」
酒瓶を抱える目の濁った父と、縋るようにして足蹴にされる母
私は、何を見ているのだろう。
じくじくと痛む体よりも、目の前の光景に意識が向いている…だからだろうか、咄嗟に母の前に出れたのは。
視界の半分が真っ黒になって、慌てふためいた母と明らかに狼狽えた父…でも、良かった
「お父さんも、お母さんも傷付かなくて、私だけで良かった」
そう言って、笑った

父も母も狂って、親戚からも拒まれて、行き着いた先は夜の街だった。煌びやかな衣装を身に纏い、今日初めて会った男の人にしなだれかかり、艶やかに微笑んでお酒を注ぎながら、頭の片隅で経緯を思い出す。
今思えば仕送りがなくなったのも、親戚の人たちが私たちとの関係を断ちたかったからだろう。母への入院費は誰も工面してくれなかった。
カウンセラーの人は、今は「お客様」として会うことが多い…店に黙っている事を条件に色々と迫られ、受け入れてた。
そのカウンセラーの人にお金を工面出来なくなった事を相談した結果が、今の状況なのだと思い出す。
そんな風に飛んでいた意識が、急に戻される。
「本当に似合うね、紫乃ちゃん…」
耳元で囁く声と太腿を撫でる手に、しなを作って愛しい人に呼び掛けるように返す。
「ふふ…お客様、私は『胡蝶』ですよ」
手の上に手を置いて優しく微笑みかけ、彼は埒外の幸福を得たかの様に恍惚の表情を浮かべる。
「本当に君は美しい…僕の物だ、君は僕だけの…」
だから、心苦かった。今までお世話になったカウンセラーの人に、これを伝えるのは。
「…実は、近々お店を移される予定なんです…未成年でも問題ないところに」
「え…」
固まってしまったカウンセラーの人に、罪悪感を覚えつつも話を続ける。
「今より稼げる場所です…会員制で…色々、サービスも増えるんです
断ろうとは思ったんですけど、母の世話を見てくれると言われて…」
「な、ならっ僕も会員に…」
「先生には、多分難しいと思いますよ…此処に通うのも、苦心してますよね？」
労わるように微笑み、本心から来る言葉を紡ぐ。
「だから、最後のサービスです…先生に、夢を見て貰いたくて」
「……」
「楽しんで、くださいね？」
心からそう思って、私は彼を優しく抱きしめた。






「ぼ、僕は、なんてことを…」
愛している、1つになろう、なんて言った先生は血と刺した感触に恐怖し、私を突き飛ばして何処かへ消えた。


雨の中、冷たくなる身体と寒さを感じながら、終電もない真っ暗な帰り道で独りごちる
「…なんで？
…やっぱり、私は…要らなかった…んですか？
せん、せい…」
錯乱した先生には、私の声は届いていなくて
心臓を刺されたのか、血が止まらない

「…先生…ごめんなさい」
色んな意味の籠ったその言葉は夜闇に溶けて消え…最後に、何か熱を感じて………私の意識は途絶えた。

「胡蝶
…なんと言うか、また一段と綺麗になったね」
「…ふふ、そうですか？ありがとうございます」
「ああ、そうだとも…それじゃ、また頼むよ」
「はい、お待ちしております」


「…ふう…」
汗ばむ身体を拭いつつ、『接待』を終えた私は一人黙考する。

半年前、私は死んで…信じ難い事に、蘇った。それも超常的な力を得て。拾ってくれたUGNという組織が、私にこの世界の真実と、私自身の希少性について事細かに説明してくれた。
最初は情報を読み込み、噛み砕くのに集中していた…それが、良くなかった。情報の中には、超常の力を用いて人々を傷付ける存在も居るのだと聞いていたのに、発想が直ぐそこには至らなかった。
母の安否を心配し、伝えた頃には既に攫われた後で。探しに行こうとする私は、衰弱もあってベッドの上に拘束されて報告を待つのみになつた。
報告は、いやに早かった。母は遺体すら残らなかったそうで、私に手渡されたのは母が片時も離さなかったペンダントだけだった。

UGNに身を置こうとは、思えなかった。借金の利息、お世話になったヤクザの人達。彼らまで裏切る訳には行かなかったし、何より2人の墓を立てたかったから。その時に彼女と出会った。私にとって、彼女と豪炎寺さんは渡りに船だった。上手く脱出した後、それ以上迷惑を掛ける事は出来ず別れを告げ、前々から私を欲しがっていた所へ身売りした。

オーヴァードの身体なら、前よりも肉体の疲労は軽く、そして稼げた。
普段は前の店での仕事を。指名…と言っても週に4,5回は呼ばれるが、VIP御用達の花として店に体よく使われながらもお金を稼ぐ。
血を致死量以上に抜かれたり、四肢や内臓を抜かれることもあった。苦しいし痛かったけれども、我慢できた。
オーヴァードとしての力で、覚醒剤の原料となる鱗粉を持つ蝶を集めさせられ、前後不覚で散々な目に遭っても。後から説明された話では、私のオーヴァードとしての力がこの蝶を作り出してしまったらしい。

きっと、きっと、きっと
いつか、いつか
「いつか、2人のお墓を作ってあげたいな」

今日の依頼は変わっていた。世間一般から離れて数ヶ月は経ったが、それでも知っている程の有名な方から
「娘を治して欲しい」と。末期ガン患者である彼女を完治させて欲しい、とのことだった。
断る理由もなく素直に依頼を受け、苦しそうな少女と出会った。

「…大丈夫、貴女の悪夢は今日終わるから」
優しく手を握り、彼女に指から滴る血を飲ませる。苦し気な呼吸が徐々に回復していき、やがて常人とほぼ変わらない程度になる。

「いたくない…お父さん
私、私…なおったの？もう、外で遊べるの…？」
「ああ、あぁ…〇〇…」

涙を流しながら抱き合う父と娘。その光景に、心から安堵した。

「……ありがとう、胡蝶」
「ありがとう、お姉さん！」

「…いえ
本当に、良かったです…お2人に笑顔が戻って」

「…また何かあれば、その時は頼むぞ」
「ええ、いつでも…私が必要でしたら、呼んでください」
苦味走った依頼人の表情が気に掛かったが、ボディーガードの方に退室を促されてその場を後にする…微笑んで安心させようとしたが、顔を逸らされてしまった。
不快にさせてしまったのかと私は頭を下げ、今度こそ場を後にした。

視界が濁る、耳障りな悲鳴が聞こえる、口から漏れ出る汚濁が、自分自身を汚していく
全身を掻き毟る亡者の腕が、殺して来た奴等の顔が目を閉じても焼き付いている
「あ、あ、あ」
男は発狂してゆく頭の片隅で、そんな世界の中でも変わらないままの目の前の女を、ぼぅっと見ていた

「…終わりですね」
何の感慨も宿さない、彼女を知る人からすれば驚くだろう顔をして彼女は仕事の終わりを確信する
スマートフォンを手に取り、軽く連絡する
「はい…はい、では、掃除屋を此方に…はい」
泡を吹き、全身を蜂の針で突き刺された男は、しかしオーヴァードである身からすればまだ息があってもおかしくはない傷だ。
だが、その表情はまるで地獄でも見て来たかの様に怖張り、恐怖の感情一色で固まっている。

「…貴方は、一体どんな悪夢(ユメ)を見たんですか？」



仕事場に戻り、軽くシャワーを浴びる。少し熱めに設定して、頭から人殺しの記憶を置いやる様に
そんな事をしても忘れられないのは分かっているので、これは無駄な抵抗なのも分かってる

「…最初は、何時だったっけ」

思考が自らの、奥へ奥へと潜っていく。思い返すのは最初の仕事。私に戦い方を教えた相手を殺す、たったそれだけの仕事だった



薄暗い仕事場、普段の様な煌びやかな場所とは違う、退廃と死の匂いがする場所
そこで、男と女が2人向かい合って話をしている
男は女に、戦い方を教授しているのだ
「良いか、紫乃
お前の力は人に『錯覚』させる能力だ」
「……錯覚…ですか？」
「そうだ、お前が望むなら
相手は全身を炎に巻かれて死ぬ…そう錯覚するんだ」
「…それだけじゃ」
「ああ、大した事は無い
お前の血の力が無ければな」
「……」
「気付いているかもしれないが、お前の血は他者を惑わす
誘惑する、と言っても良いな…思い当たる節は有るだろう？」
カウンセラーの人の表情、父さん、お客様、色んな顔が浮かんでは泡の様に消え、笑って誤魔化す
「…有るかも、しれません」
「まぁ、そこはどうでもいい
重要なのは、この力は使えるってことだ……人以外でもな」
にやりと笑ったその顔が、恐らく私が気を許す様になった理由だと思う
それから、彼には様々な戦い方を教わった
血を使った敵の誘惑。毒虫に自身のレネゲイドを打ち込んで操る。言葉にレネゲイドを載せ、他者を誑かす

そんなやり方を教わっていくうちに、距離は縮まって
だからだろうか

「お前に初めての仕事をやる」
私の雇い主。コードネーム、クロックワーク。鴻央会の中心人物
御剣祥耶とは、それが初めての出会いだった
「お前に戦い方を教えていた男が、お前を逃がそうとして俺達を裏切った
お前が責任を持って殺せ…出来なくても、別に構わん」
優しい様に見える言葉の裏を読み取れる位には、私もこの世界に染まっていて
「……分かり、ました」
ただ、微笑むしかなかった



「……ああ、お前が来ると思ってた」
「…どうしてですか
どうして、こんなことを」
「焼きが回った…じゃ信じねぇよな
……死んだ娘にそっくりだった」
そう語る彼の目は、私が今までに見て来た目に似ていて。ああ、彼も私が壊してしまったのだと、理解してしまった
「……ごめんなさい
どうか、眠ってください」
彼に教わった通りに、彼がアドバイスしてくれた通りに、即死の毒を持つ蜂と、青い幻惑の鱗粉を撒き散らす蝶。そして、肉を貪る鼠を彼に向ける
彼は何も、何もしなくて
「……ごめん、なさい
…ごめんなさい……」
顔を伏せて、彼の苦しむ顔を見たくなくて。絶叫と咀嚼音が止むまで、顔を伏せ続けた



「ふむ…いい仕事振りだった
これで裏切る奴はもう出ないだろう、ご苦労だった」
御剣さんは顔には出していなかったが、それなりに今回の結果には満足していたようだ
「はい、ありがとうございます」
顔に張り付く様な笑みが出来るようになったのは、これがきっかけだった
きっと私は地獄に落ちるし、幸せにはなれない。それでいいと思ったし、そうあって欲しいとすら思った。こんなに汚れて蛆に塗れているのだから、幸せに、なりたくない





「……の……し…の……」
誰かが、私を呼ぶ声がする
「紫乃！」
「……アンナさん？」
切羽詰まった表情で、少し驚いた
「気絶でもしてたの！？大丈夫！？」
心配そうな声は、純粋に私を気遣う声で……少し、安堵する
「大丈夫です……少し、ボーッとしていて」
「……仕事のこと？」
「大丈夫ですよ」
心配させまいと微笑むが、やはり心配な様で、お説教よ！と言われてしまい、いつの間にか一緒に映画を見たりする事になってしまって
貴女のお陰で大丈夫になりました。と言えない臆病な自分にも、問題はあるが

高層ビルのとある階層、その一室。思い耽る私が気になったのか『お客様』に声を掛けられる。
「どうした？胡蝶
普段と違う様子だが」
気遣わせてしまったかと反省しつつ、何処か楽しそうな様子に
そう言えばこのお客様は私の弱い部分を見るのが好きだったなと思い出した。
「少し、思うところがあったんです
知り合った人達に、噓をついているのが少し……苦しくて」
「まあ、こういう仕事をしてれば隠し事の一つや二つはあるだろうな」

「……本当に、優しくていい人達なんです
こんな、死人の私にも優しくしてくれる人達ですから」
「死人？はは、胡蝶は面白い
確かに、お前はこの世のものとは思えないほど美しいがな」


言い終わらない内に引き倒され、ベッドの上に倒される
「……さて、憂いを帯びるのも結構だが、お前を買ったのは誰だったかな」
そのまま、覆い被さられて。





揺れる視界の中で、花瓶に差したあの花が枯れていないか
少しだけ気に掛かって、直ぐに思考は溶けていった。

外食から戻って来た私達を待っていたのは折檻だった。アナさんに酷い事はされたくなかったので、少し『大人しく』させたが。
それが向こうに、コイツは牙を剥いてくると思われたみたいで。
「…がっ、ぶ……」
血反吐を吐き、地面に蹲る。容赦なく身体を抉られ、刺され、死なないからと良いようにされた。
けれど。こんな痛みは、あの時に比べたら大したことはない

意志を持って、男達を睨めつける

私はもう、言いなりになんてならない。

助けを求めた。逃げない覚悟だって決めた……けど、本当は、怖くてたまらなかった。
逃げて来た過去に、手に、今更縋って良いのかって。あんなに優しげで、楽しげな皆の中に、私が居ても良いのかって。
外から見てるだけで満足だった/中に入ってその優しさに触れるのが怖かった。
逃げるという選択肢が取れた/この場に居たくなかっただけだった
私は、本当に、弱い人間で。でも、皆は私を助けてくれると言って。
それに報いたい、とも思うけど、でも
ちゃんと生きてみたい。ちゃんと表を歩きたい。もうあんな裏の世界には居たくない。
自分の事を諦めないでいてくれた人達の為に。
自分の、為に。

それまで私は、誰かを助けて自分だけが傷付けば良いと思っていた。

沢山の、行動を見た。
私を大切に思って、私が傷つく事に悲しんでくれた人達がいた。
助けるのにも、やり方があるのを知って。それを学ぼうと思った。

沢山の、思いを貰った。
私が立ち上がる為に、手を差し伸べて引き上げてくれた人達がいた。
今度は私が、立ち上がって貰う為に手を差し伸べたくなった。

そして、
私を支えてくれた人達がいた。
私の姉の様な人…出来れば、新しい家族として、一緒に歩きたい人。
目標は違うけど、憧れている人。今は寝ているけど、必ず起きると思うし、なんなら起こす。


気付く事が出来た。
私の歪さや、家族の歪さ、父親への感情……けど、そのままにはしない。なぁなぁに済ませたりしない。
ようやく、自分の事で怒ることが出来たから。この怒りは、お父さんに思いっきりぶつける。
自分のやりたい事の、ついで。私のワガママ。

思い出の一品、ペアネックレス…アンナさんに3話で贈った物
思い出の一品、蝶と小さな音符の付いたチャーム…響也くんに3話のBBQ終わりで渡された物
思い出の一品、若草色の万年筆…境さんから手紙と共に貰った

D　生還者《リターナー》
1　両親　P執着/〇N憐憫
S　一条 光　〇P誠意/N罪悪感
3　根茂蔵　直人　〇P誠意/N隔意
4　水天　鏡　〇P連帯感/N不安
5　七条　充　〇P憧憬/N罪悪感
6　ツギハギ　〇P誠意/N敵愾心

D　生還者《リターナー》
1　両親　P執着/〇N憐憫
2　一条 光　〇P誠意/N罪悪感
S　白百合 アンナ 〇P好意/N不安
×　水天 境　〇P親近感/N隔意
5　風前 無花果　〇P誠意/N尊敬
6　風前 鬼灯　〇P信頼/N羨望

D　生還者《リターナー》
1　一条 光　P信頼/〇N誠意
2　白百合 アンナ 〇P好意/N不安
S　マリス・M・メイデン　〇P連帯感/N信頼
4　水天 境　〇P好意/N懐旧
5　風前 鬼灯　〇P敬意/N信頼
6　一条 光　〇P好意/N感服

D　生還者《リターナー》
1　白百合 アンナ 〇P庇護/N慕情
2　一条 光 〇P信頼/N不安
3 マリス・M・メイデン　〇P尊敬/N尽力
4　水天 境　〇P尽力/N不安
5　風前 鬼灯　〇P友情/N信頼
6　渡里 響也　〇P感服/N信頼