履歴
彼女は父親が大好きだった。
強く、賢く、優しい。
そんな父親が大好きだった。
彼女の父は上場企業の役員をしており、かなり有能な人物だった。
より良い社会を作ろうと行動し、人柄もよく、人望もあった。
そんな父親のことを彼女はとても尊敬し、愛していた。
ある日の下校途中の帰り道、彼女の目の前に見知らぬ男たちが現れた。
何事かと理解するまもなく、彼女は男たちに連れさらわれてしまった。
なぜ自分が攫われたのか。
それはわからなかったが、彼女は少しも怖くはなかった。
「きっと、お父さんが助けてくれる。」
そう信じていたからだった。
攫われてからものの数時間で父親は男たちの指示通りに一人で取引現場に現れた。
警察にも連絡をしていないという。
ここまでのやり取りは彼女でも理解ができた。
しかしそこからの男たちと父親の会話は理解ができないことが多かった。
ただ、男たちはしきりにこう言っていた。
「賢者の石をよこせ」と。
それが何かはわからなかったが、男たちの語気が鋭くなっていったのを感じていた。
「わかった、こんなものはくれてやる。だから娘は開放しろ。」
父親がそういった。
その時、彼女はこの言葉の意味をわかってはいなかった。
だがしかし、本能的に父親が死ぬつもりだというのを理解してしまった。
父親を死なせたくない。
その思いで必死に男たちに抵抗した。
腕に噛みつき、声を荒げ暴れまわった。
しかし次の瞬間、視界がチカチカと光りだした。
直後頭に鈍い痛みが走り、周囲の音が遠くなっていった。
殴られたという事実に気がつくのにはしばらく時間がかかった。
それが引き金になったのだろう。
父親は激昂した。
身体からは見たことのないエネルギーが溢れ出し、それは実態を持って男たちに襲いかかった。
その時、彼女は父親の左手を見た。
いつも手袋で隠されていたその手の甲には白く光る石のようなものが埋め込まれていた。
その石がまばゆい光を発し強く輝いていた。
何が起こっているのかはわからないが、父親が自分を助けようとしていることを彼女は理解し、それを嬉しく思った。
だが次の瞬間、一発の銃声が響き父親は倒れた。
銃声が聞こえたほうを見ると、男たちのうちの一人が拳銃を父親に向けていた。
それから父親は動かなくなった。
痛い頭を起こしながら駆け寄り声をかけるが、その甲斐もなく父親は彼女に一言も返すことはなかった。
絶望
その言葉だけが心を支配し、精神を黒く塗りつぶしていった。
男たちが何かを喚き散らしながら仲間割れを始めたことも、彼女にはどうでも良かった。
あの大好きな父親が。
いつでも自分を助けてくれる父親が。
自分の心の拠り所の父親が。
死んだ。
その事実は彼女の精神を破壊するには十分な効果があった。
自分は死ぬ。
今まで感じたことのない恐怖が彼女を襲った。
もう自分を助けてくれる父親はいない。
ならばこの場において自分の未来は冷たい死体と決まりきっている。
急に押し寄せてきた死の恐怖に、彼女は成すすべもなかった。
怒鳴り合う男たちの声に怯えながら父親の腕を抱きかかえ丸くなった。
誰も助けてくれるわけはない。
自分はここで死ぬ。
そんなことはわかっていながらも、何もすることができなかった。
もう死ぬ。
もうすぐ死ぬ。
死にたくはない。
ずっとそんなことを考えていた。
ずっと考えていた。
ずっと…
…様子がおかしかった。
すぐそこに迫ってきていた死の使いは彼女を迎えに来ることはなかった。
ふと顔を上げる。
周囲にはまだ男たちはいた。
しかし、皆一様に一点を見つめていた。
その先には…
太陽が出ていた。
巨大な太陽がすぐそこにあった。
その太陽は黒い火柱を纏い、闇く光を発していた。
そんな光景に皆目を奪われていたのだ。
太陽は周囲を飲み込んでいった。
この場所を、男たちを、そして彼女を。
あまりの眩しさに彼女は目を瞑り父親の手を抱きしめた。
その時、大好きな人の声が聞こえた。
「この炎は君を救ってくれる。」
「さようなら、聖。」
目が覚めた時、彼女はUGNの施設で保護されていた。
そこで彼女は、父親がオーヴァードであったこと、父親が賢者の石の適合者であったこと。
そしてその賢者の石が、今は自分胸元に適合していることを知った。
しかし、UGNもあの黒い炎については何も知らないという。
どういうことか考えていたところに、母親がお見舞いに来てくれた。
そこで彼女は父親の覚悟と、あの黒い炎について聞いた。
一体化している賢者の石を渡すということは、すなわち自分の死を意味していた。
しかしそうだとしても彼女のことは助けたかった父親は、ある傭兵に娘の命の保証を依頼したらしい。
『自分が死んだ後の彼女の命の保証』を…
それから長い年月が経った今でも、彼女はその傭兵のオーヴァードを探している。
ただあの時のお礼を言うために。