厳格な父が憎かった。世間体を気にする母が疎ましかった。自分よりも要領の良い2つ下の弟が、妬ましかった。
…なら自分など居なくても良いじゃないか。
家に縛られ続けることに嫌気がさした彼は、見目と若さを利用し、複数の女性の家を渡り歩いた。

「失敗作」…そう呼ばれ続けた彼は、弟が成人し、正式に若旦那として家を継いだその年に、当時交際していたFHのノイマンの女性を利用し、多額の負債を抱えさせ廃業へと追い込んだ。父母は首を吊り、弟はFHに連れていかれ実験体にされた。
彼が家族について知っているのはここまで。知る必要も、興味もなかった。

彼がオーヴァードに目覚めたのは21の頃。それまでにも複数の"おねえさまがた"の家に転がり込んで遊び歩いていたため、その中の誰かが保菌者だったのだろう。
RBとの接触があったかどうかまでは定かではないが、FH所属の者が居たため、UGNに発見される前にFHに目をつけられた。
覚醒後は完全に実家と縁を断ち、FHへと身を寄せた。

オーヴァードに目覚めたばかりの頃、まだ不安定だった彼は意識が虚ろなまま、ここ数日泊めてくれていた女に喉の渇きを訴えた。
最初は水を。次に白湯を。茶を。ジュースを。酒を。…彼の喉は渇いたままだ。
夜中だったため、女が不意に欠伸をした。
吸い寄せられるように目尻に滲んだ涙にキスをして、吸った。仄かに甘い。
肌に浮いた汗が。
合わさった唾液が。
舌先に付いた体液が。
噛み切った皮膚から流れた血液が。
ようやく彼の喉を、衝動を、宥めた。

血を流したままの女は混乱する彼に「…ねぇ、私の勤めてる会社で一緒に"オシゴト"しない？」と嬉しそうに囁いた。

誘われるままFHへと所属した彼は、レネゲイドウィルスやオーヴァード、敵対組織(UGN)についての知識を取り入れていった。
自分をFHへ誘った女はノイマンとソラリスのクロスブリードであり、彼の実家の崩壊を引き起こした張本人である。
彼は彼女を愛していた…と思っていたが、彼女はそのシンドロームを最大限に操り、彼が言いなりになるように仕組んでいただけであった。
それに気付いたのは、彼が24の頃。彼女が任務中にジャーム化し、殺傷処分を受けた後だった。
恋の魔法が解けた彼はFHを離れ、姿をくらませた。

FHは裏切り者を赦さない。ハヌマーンの脚力、ノイマンの頭脳、ブラム＝ストーカーのしぶとさを以てしても逃げ続けることは簡単なことではない。それでも1年はどうにかやり過ごした。
25歳になった彼は、ぼろ布のようになりつつも記憶を辿り、血の匂いを辿り、とあるUGNの支部の扉を叩いた。
彼は知る限りのFHの情報を明け渡し、UGNへの忠誠を誓った。
情報の隠蔽は、この離反者をFHやUGN内部の過激派から守るためでもある。
…だが、今では彼を知る者が少なくなってしまった。
当時彼を保護した人物も、彼のカウンセリングの担当者も、既に殉職してしまっている。
今後何かしらの心境の変化が彼に起きたとして、それを察知できる程に近しい人物は、もういない。
だからこそ監視の目は、弱めてはいけない。

彼の吸血衝動はこのオプショナルシンドロームの影響であることがわかるが、ノイマンの特性を利用し巧みに隠している。
本来トライブリードでは習得しえない能力(勝利の女神)を使用するため、彼がトライブリードであることを疑う者も少ない。
回復行為(渇きの主)を行っても、相手を死に至らしめることをしないため、対象者は少々の脱水又は貧血を起こしたと錯覚するだけに留まるだろう。
最大の特徴として、彼がブラム＝ストーカーの能力を使用する際、又は吸血衝動が発生した際には、普段は黒い瞳が金色に染まる。
瞳の色の変化に気付いたならば、近くに寄らない方が賢明だろう。

「写真記憶」「吠え猛る爪」…同じ能力を持つ者であれば、その違和感に気付いているのかもしれない。
しかしながら、彼は滅多に人前で能力を発揮しない。ひけらかさない。

奇しくも、ボクがFHに組したきっかけとなったあの人と同じシンドロームだ。
あいしていた
既に死んでしまったはずのあの人が、生きてそこにいるような錯覚に陥るほどに似ている。
しくまれたなんて　うそだ
年月は残酷だ。若く美しい彼女を前にして、散々遊び倒してきたはずのボクの足が踏み止まってしまう。
あいしていたんだ　ほんとうに
せめて彼女が、あの人のように無残な最期を迎えないよう祈るばかりだ。

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貴方は慌ててファイルを閉じ、元の位置に戻した。
扉を開けると、金色の瞳を持つ小柄な中年男性が立っていた。
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「…ボクの過去(データ)は面白かったかい？」
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……
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貴方が次に見る景色は、医務室の天井だ。貧血で倒れたところを運ばれたらしい。
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貴方はこの貧血の原因を知っている。知ってしまった。
意識を失う直前に聞いたひどく優しい声色が、脳内で反響し続けている。
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『まだここ(UGN)に居たいから命までは取らないよ。…ケド、君の"味"は覚えたから(逃げられると思わないことだ)ね。』
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…あの金色の瞳に、見られ続けているような気がしてならない。