産まれた時から、自分の中には人とは違う力があった。
それがレネゲイド、オーヴァードと称されるものであることを知る者は当時の世間では少なく、ごく一般的な家庭の両親が知るはずもなかった。
故に、人間のものとは異なる様相をした自分の瞳は恐れられ、時おり不可思議に発生する家の中の事故が自分のせいだとされて、遠く離れた施設に捨てられた。
不幸中の幸いだったのは、そこで自分を見つけたのがUGNという、レネゲイド、オーヴァードについて知る人々だったことだろう。
UGNに保護され、チルドレンとしての教育を受け始めてから、自分に姉がいることを知った。
歳の離れた姉(なんと十も離れていた)は高校を卒業したところで、大学に通いながらUGNで研究員の手伝いをしながら、レネゲイドの制御について学んでいるのだという。
話を聞けば高校生の頃に事故に巻き込まれて、オーヴァードに覚醒したらしい。事故現場に駆け付けたUGNからレネゲイドについて教えられ、小学生の頃にいなくなった自分の弟が産まれながらのオーヴァードだった可能性に気づいたそうだ。
オーヴァードとしてそれなりの能力を有していたから、とイリーガルで協力しつつ、捨てられた自分のことを探していた。
姉に接触した支部とこの支部はかなり離れているし、自分は施設から引き取られる際に保護者のものに苗字も変わっていたので、すぐには見つけられなかったようだ。
物心つく前に捨てられた身なので、彼女が姉だという自覚はなかなか得られなかったが、気にかけてくれる存在というのはむず痒かった。UGNで教育を受けているものの、自分はあまり優秀ではないようで、教師役には持て余されているようだったから。
彼らを見かけたのは、姉と再会してから程なくして、姉の所属する支部に出入りするようになってからのこと。
能力に伸び悩んでいることを相談した自分を、姉は悩みつつも、自分の以前の指導者に会わないかと言った。覚醒したばかりの姉に、オーヴァードとしての力の使い方を教えてくれた女性だという。
姉の所属する支部は、自分を捨てた両親の暮らす地元でもあった。覚えてはいないが躊躇いはあって、けれど、自分を気にする姉を無下にする気にもなれず、提案に乗って日帰りで向こうの支部に向かった。
支部で出迎えてくれた姉に連れられて、指導者の女性がいるというフロアに向かう。女性は新しくチルドレンの専属で教官を務めているという話だったが、姉が相談したところ、話を聞いてくれることになったと言っていた。
案内されたフロアでは、女性が二人のチルドレンを相手に訓練を行っているところだった。自分と同じくらいの子どもに見えた。
「ほたる、気張るけんね!」
「……大丈夫だ。××こそ、頑張れよ」
とても、対照的な二人だと思った。
姉と共に女性を待っている間、訓練に励む二人の子どもの姿を眺めていた。教師役に熱心な教育を受けている、自分のいる支部のチルドレンと同じように見えて、どこか違うようにも思えた。
励ましながら、悪態を吐きながら、へとへとになって転がるまで訓練を続けている二人に、後ろ手に握りしめた手の中がじめじめとした。
『いいな』と思ったのだと、今ならわかる。大人に目をかけられるくらいに強くて、互いに拳をぶつけ合えるような相手がいて、一人ではなく二人でいる彼らのことが、自分は眩しかったのだろう。
何度か、姉の支部に顔を出した。そのたびに、彼らの姿を遠目に見かけた。
時が経っても変わらず共に並ぶ彼らの後ろ姿を見て、戦いに赴く姿を見送って、がんばれ、と胸の内で呟いていた。
彼らの姿は、自分が思い描く理想の体現のようだったから。何一つ自分は持っていなかったけど、憧れを目にすると、眩しくて胸の奥が熱かった。
オーヴァードとしての自分の能力の限界を感じ、非戦闘員の職員としてUGNで扱われ始めた頃、姉が死んだ。
偶然、整理する資料の中にあった、ジャーム化したエージェントの記録だった。一年ほど前に会った姉は、FHとの度重なる戦闘の中で戻れなくなり、ジャーム化して、討伐に出たエージェントとの戦いの中で息絶えていた。討伐は数ヵ月前の出来事で、凍結保存もできない程に弱っていたようだ。
討伐にあたったエージェントの名前を確認する。彼らの名前があった。橡蛍と××。姉を殺した、姉の最期を看取ったのが、彼らだった。
その名前を目にした瞬間に、どくりと脈打った心臓の意味は分からなかった。ただ、姉が死んだという事実と、彼らがそれに関わっている事実に、気づけば彼らのいる、姉がいた支部に向かっていた。
自分を見ても、誰も特に反応はしない。姉は、捨てられた自分のことを気にして、あまり周囲には自分との関係を話さなかった。一度だけ遠回しに、家族をどう思っているか、と聞かれた際に『何も覚えていない』と答えたからだろう。
支部の中を歩き回り、彼らの姿を探したが、見つからなかった。そのことに、どういえばいいのか分からない溜息が零れた。安堵したのか、落胆したのか。そもそも自分は、ここに来て何をしたかったのか、それも分からない。
見つけられなかったことに諦めて支部を出て、夕暮れに染まった街を歩いた。記憶にない街だが、自分が産まれた街だった。感慨もない、思い出もない街だ。
「なーに、たそがれちょるけんね!」
夕焼けを眺める蛍を蹴る、××の姿を見つけた。
討伐任務の帰りだろうか、並んで同じ夕焼けを眺める後ろ姿を見ていた。二車線の道路を車が行き交う合間に、この何年もの間、何度も見ていた後ろ姿と同じ姿を、見ていた。
彼らは普通だった。普通に、普通に隣に並び合って、言葉を交わして、歩いていた―――非日常の中で、思い描いた理想のままに、普通の姿をしていた。
姉が死んでも、世界は変わりなく回る。自分の中に思い出として残った姉も、少しずつ、少しずつ、薄れていく。
淡々とした日々が進む中で、思い出したように彼らの姿を眺めた。非日常の中で、普通に過ごす彼らの姿は、変わらず眩しかった。
そんな彼らの姿に、変化があった。
彼らの隣にはいつもお互いしかいなかったのが、別の子ども、チルドレンがいた。どうやら任務の関係で、別々に行動しているらしい。
そんなこともあるのかと思って、少しだけ、彼らに近づいた。彼らはチルドレンとそれぞれ、悪くない関係を築いているように見えたが、違和感はあった。
互いに、互いのことを気にかけているようだが、任務もあってすれ違いが続いているようだ。少々心配になるが、任務に対する彼らの姿勢は模範的なエージェントのものだった。誰も口出しはしなかった。
橡蛍の相棒が、××が死んだ。ジャーム化し、彼に殺された。
彼は右腕と左目を失ったらしい。書類一枚で任務の概要と、被害報告に含まれる彼の怪我の具合を知った。自分が知れるのはそれだけだった。
数日が経って、支部の廊下で偶然、橡蛍とすれ違った。左目は眼帯をしていたが、失くしたという右腕はあった。書類に、ジャーム化した××の遺産を回収したとあったのを、思い出した。
「……」
話しかけようとして、開いた口が音を立てることはなかった。すれ違った彼の後ろ姿を見送る。
一人で歩く彼の後ろ姿を見ているのは、何だか胸がざわついた。彼の隣にあった存在が、隣り合った彼らの姿が、幻へと消えていく。
隣り合う彼らの姿が眩しかった。自分が得ることのない理想を体現した彼らが壊されて、失われていくことに唇を噛んだ。非日常に普通を生きる彼らが、彼が、消えていく。嫌だった。
彼の右腕は、彼の相棒の遺産を移植したものだった。知った時、掌で覆った唇が、思わず笑った。彼の相棒が、無くなったわけではないのか。
唐突に、彼が変わった。橡蛍が、××のように振る舞うようになった。
誰かと話す時、彼はガラリと雰囲気を変える。初めて会う人にとって、橡蛍は××のような人に思えるだろう。
相棒を失った悲しみを乗り越えようと藻掻いた結果なのだろうと、周囲の誰もが何も言えないまま彼を見守っている。憐憫、同情、悔悟。真っ当な人間が抱く、真っ当な感情。
『いいな』と思った。失った相棒を、相棒を殺した傷を消すことなく、覆うこともできないまま、その存在を模倣して普通を生きようとする橡蛍が、模倣してでも忘れられない、消えない××が、その、関係が、それが、いいな、と、思った。
刻み付けたい、彼に、自分を、自分の存在を、忘れられないように、失われないように、残り続けるように、思い出してもらえるように、失った相棒を取りこぼさないように足掻いて、普通の非日常を生きようとする彼が、見て、くれたら。
「見てくれよ、俺を。覚えてなくていい、今この瞬間だけ見てくれ、覚えてくれ、この瞬間の俺を、あんたを裏切った俺を、なあ、あんたが見てくれ、蛍、橡蛍、あんたが俺を殺してくれ、俺を殺せ、普通に、非日常の中で、普通に、俺を見て、あんたが殺してくれ」
異形の歯が口を開ける。ギシギシと硬い音、やめろと見開かれた瞳に、俺が映る、ああ、そうか、ずっとこれが、欲しかった。